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今成元昭師の「如説修行鈔偽書説」ならびに「摂折解釈」を批判する |
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著者 |
山崎斎明
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掲載誌 |
現代宗教研究
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巻号 | n.40 |
出版年月日 | 2006.03 |
ページ | 4 - 68 |
出版者 | 日蓮宗宗務院 |
出版サイト |
https://www.nichiren.or.jp/
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出版地 | 東京, 日本 [Tokyo, Japan] |
資料の種類 | 期刊論文=Journal Article |
言語 | 日文=Japanese |
ノート | 作者単位:日蓮宗現代宗教研究所研究員 |
目次 | はじめに 4 第一章「文学論的考察による如説修行鈔偽書説」を批判する 5 (一)当時の文学で使用された概念は御遺文解釈の概念になりうるか 5 (二)「如説修行」という語の有無から推測する判断は妥当であるか 8 (三)『薬王品』の「如説修行」を回避したという説について 9 (四)『如説修行鈔』の文章表現について 14 (五)今成師の日蓮聖人観について 17 第二章「折伏は武力・暴力である」という今成説を批判する 24 (一)「刀杖執持、乃至、首斬」「頭破作七分」は、武力・暴力を容認する文なのか 24 (二)日蓮聖人の折伏の概念は武力・暴力の範疇なのか 31 (三)涅槃経の有徳王・仙予国王等の解釈について 36 第三章「開目抄・摂折問答部分」の解釈について 43 (一)「常不軽品のごとし」と「涅槃経のごとし」は、どちらが整合性があるか 43 (a)「常不軽品のごとし」と解釈した場合 50 (b)「涅槃経のごとし」と解釈した場合 51 (二)『観心本尊抄』の「摂受・僧、折伏・賢王」の解釈について 52 (三)不軽菩薩の行は折伏逆化ではないのか 54 (四)法華経は折伏経典ではないのか58 おわりに 64
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ISSN | 02896974 (P) |
ヒット数 | 399 |
作成日 | 2008.07.10 |
更新日期 | 2020.09.14 |
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