サイトマップ本館について諮問委員会お問い合わせ資料提供著作権について当サイトの内容を引用するホームページへ        

書目仏学著者データベース当サイト内
検索システム全文コレクションデジタル仏経言語レッスンリンク
 


加えサービス
書誌管理
書き出し
以徑山茶宴爲例初探徑山茶禪的美學
著者 釋慧清 (著)
掲載誌 全國佛學論文聯合發表會論文集(第30屆)
出版年月日2019.09
ページ1 - 24
出版者法鼓文理學院
出版サイト https://www.dila.edu.tw/traffic1
出版地新北市, 臺灣 [New Taipei City, Taiwan]
資料の種類會議論文=Proceeding Article
言語中文=Chinese
ノート作者為圓光佛學研究所。
キーワード徑山; 茶禪一味; 茶湯會; 徑山茶宴
抄録中國大陸浙江杭州徑山寺的徑山茶宴,經中國大陸國務院批准,於 2011 年 5 月 23 日,被列入第三批國家級非物質文化遺產名錄。不僅恢復了徑山古刹自宋以降自己獨特的茶宴儀式,且將茶禪文化推向生活美學的新境界。徑山寺自唐代法欽(714-792)開山(始建於唐天寶元年 742)至今,歷時 1277 年,曾為宋朝五山十刹之首。盤點徑山寺千百年來輝煌的歷史可知,徑山是日本臨濟宗祖庭,也是日本茶道之源。徑山的禪和徑山的茶形成的茶禪美學,倍受世人矚目和傳頌。首先陳述徑山茶禪文化形成與普及,佛教傳入中國,便與茶結下不解之緣,但「茶禪一味」文化則應始於唐,盛於宋。徑山的茶禪文化,自唐代法欽禪師手植茶樹,采以供佛,就開啟了茶與禪的交融。小於法欽 19 歲的陸羽,來徑山雙溪鑿泉品茗,闔門著書,完成了《茶經》的初稿。中晚唐趙州和尚的「吃茶去」公案傳唱千古,後續有北宋圓悟克勤、大慧宗杲等禪師倡舉「茶禪一味」的禪學理念。宋長蘆宗賾搜集唐百丈懷海《百丈清規》殘存的行法偈頌,於北宋徽宗崇寧二年(1103)編集成《禪苑清規》;元代元統三年(1335),元順宗命百丈懷海第十八代法孫東陽德輝重修清規,用了近三年的時間,編寫了流傳至今的《敕修百丈清規》其復興《百丈清規》之精神,
影響了宋元時期中國佛教的禪宗寺院,理順叢林規則。從《禪苑清規》《敕修百丈清規》中規範寺院重要佛事活動、次第茶禮及「茶湯會」禮儀程式,從中可見徑山茶禪儀軌的建立。其次探究徑山歷代高僧又是怎樣參究禪理,傳承「茶禪一味」宗風,表現當代美學。徑山在大慧宗杲等多位高僧的住持下,不僅開啟了臨濟宗風時代,弘傳臨濟楊岐宗風,道法隆盛,同時也興盛了徑山的茶禪文化,並將其推向了輝煌。徑山僧侶們以茶論道,禪門結合《禪苑清規》,舉行茶湯會,評茶鬥茶,作詩說偈,禪機妙應。值得提出的是,徑山的茶禪文化和洽圓融地將禪院清規、禮儀、茶藝,發展出一整套步驟嚴謹、系統完備、蘊涵豐富、儀式有序的茶宴與茶禮。「徑山茶宴」成為寺院的生活儀規,呈現在禪林的生活中,形成自己獨特的茶禪儀式,蘊含豐富的茶禪美學,不僅影響豐富了日本茶道、茶禮,也開啓了日本茶道的美學。徑山茶禪更是帶出了茶禪的生活之美、倫理之美與心靈之美,對現今社會流行的禪修、茶修及茶文化的傳播、傳承有著積極的指導作用。
目次一、前言 2
二、徑山茶禪的形成與演變梗概 4
2-1 徑山寺的成立和茶禪一味思想之起源 4
2-2 徑山茶禪一味的演化 6
三、徑山茶宴茶禪儀式 10
3-1 《禪苑清規》茶禪儀式 10
3-2 徑山茶宴的禮儀程式 12
四、徑山茶禪的美學表現 14
4-1 當代徑山茶宴之儀式表現 14
4-2 徑山茶禪的美學表現 16
五、結論 22
ヒット数503
作成日2022.10.20
更新日期2023.09.22



Chrome, Firefox, Safari(Mac)での検索をお勧めします。IEではこの検索システムを表示できません。

注意:

この先は にアクセスすることになります。このデータベースが提供する全文が有料の場合は、表示することができませんのでご了承ください。

修正のご指摘

下のフォームで修正していただきます。正しい情報を入れた後、下の送信ボタンを押してください。
(管理人がご意見にすぐ対応させていただきます。)

シリアル番号
652157

検索履歴
フィールドコードに関するご説明
検索条件ブラウズ