サイトマップ本館について諮問委員会お問い合わせ資料提供著作権について当サイトの内容を引用するホームページへ        

書目仏学著者データベース当サイト内
検索システム全文コレクションデジタル仏経言語レッスンリンク
 


加えサービス
書誌管理
書き出し
新羅五臺山文殊信仰探源
著者 郭磊 (著)
掲載誌 2015年國際青年華嚴學者論壇論文集
出版年月日2015
ページH1 - H18
出版者華嚴專宗學院國際華嚴研究中心
出版地臺北市, 臺灣 [Taipei shih, Taiwan]
資料の種類會議論文=Proceeding Article
言語中文=Chinese
キーワード華嚴經; 新羅; 五臺山; 慈藏; 文殊信仰
抄録東晉義熙年間佛陀跋陀羅開始了六十華嚴的翻譯,在經文中有〈菩薩住出品〉
說東北方有清涼山,文殊菩薩常住於中。經由歷代高僧的論證,「清涼山=五臺山」
成為定論,既而形成了五臺山文殊信仰。這種信仰也傳播到了新羅,除了接受唐
之五臺山信仰,還經歷了本土化的過程,形成了自己的五臺山文殊信仰形式。
慈藏是新羅中古時代(514-654)佛教界的代表性高僧,《三國遺事》中記載慈
藏入唐并往五臺山參拜,感遇文殊菩薩化現。韓國學界有「新羅五臺山文殊信仰
由慈藏傳來」定論之說,並以此為基礎展開研究論述。其被視為定論的主要依據
是《三國遺事》中的相關記錄,此書編撰於十三世紀左右,但比其成書要早的中
國傳記《續高僧傳》、《法苑珠林》等中並無慈藏入五臺山之記載。韓國學界對於
慈藏的五臺山參拜之說也曾提出疑問,并從其神人所傳偈頌等方面做了考證,指
出相關部份乃後人的附會之作,但亦未探明慈藏與文殊信仰之關繫有無。
筆者查阅慈藏相關史料,綜合中韓學界既有的相關研究,以唐代五臺山文殊
信仰的發展情況為主線,分別從:一、慈藏入唐時期唐代五臺山文殊信仰發展的
狀況。二、慈藏入唐路線的變動可能性。三、慈藏一行避過官方的檢查,秘密前
往五臺山參拜的可能性。四、《續高僧傳》中與五臺山相關僧侶的的行跡等四個
方面進行分析論證,最終得出「慈藏參訪五臺山」與史實不符之結論,此乃後人
有意而為之。鑒於當時朝鮮半島政治局面混亂,統一新羅的君主爲穩固其版圖,
借用前朝高僧慈藏之名望,將其與文殊信仰連接起來。同時為體現佛國土治國思
想,將五臺山地區神聖化,藉此穩定政局民心。
新羅的五臺山文殊信仰緊隨唐之發展軌跡,其形成經歷了一定的時間,是後
人根據信仰的階段性發展所作的累加,史料中所展現的是連續疊加的「成品」,
不可作為一個整體來認識,而應當區分對待。
目次一. 引言 H-2
二. 慈藏之入唐 H-4
三. 新羅文殊信仰的傳入及其成立背景 H-12
四. 結論 H-15
ヒット数366
作成日2016.05.06
更新日期2023.07.19



Chrome, Firefox, Safari(Mac)での検索をお勧めします。IEではこの検索システムを表示できません。

注意:

この先は にアクセスすることになります。このデータベースが提供する全文が有料の場合は、表示することができませんのでご了承ください。

修正のご指摘

下のフォームで修正していただきます。正しい情報を入れた後、下の送信ボタンを押してください。
(管理人がご意見にすぐ対応させていただきます。)

シリアル番号
551773

検索履歴
フィールドコードに関するご説明
検索条件ブラウズ