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日本古代仏教思想史上における空海
Author 藤井淳
Date2006.03.23
Publisher東京大学インド哲学仏教学研究室
Publisher Url http://www.l.u-tokyo.ac.jp/intetsu/
Location東京, 日本 [Tokyo, Japan]
Content type博碩士論文=Thesis and Dissertation
Language日文=Japanese
Degreedoctor
Institution東京大學
Department人文社会系研究科
Publication year2005
Keyword日本仏教
Abstract本論は空海と同時代の日本仏教界の時代背景を考慮しつつ、空海の著作に見られる記述と同時代の学僧の著作において扱われている問題との間に共通性が見出されることを指摘し、それらを対比することによって、主に真理観を軸として空海の思想の発展的形成の過程を明らかにした。

第一編では空海の生涯と著作を代表的な先行研究を紹介した上で、筆者による推測を行い、第二編、第三編の論考の基礎にした。

第一章「空海の伝記」では空海の生涯を紹介しつつ、従来信頼されていた空海伝に関する資料に疑問を呈し、また時代状況から考えて空海は三論宗の学僧として入唐留学した可能性が高いことを状況証拠によって示した。

第二章「奈良仏教・平安初期仏教について」では空海の思想が同時代の日本仏教界の動向を念頭において形成・発展した時代背景を紹介する。「真理と言語とは関わりあう」という空海の最初の真理観を形成する背景となり、当時の仏教界最大の関心事であった三論宗・法相宗間の「空有論諍」の発生とその展開についての時期について推測し、また奈良時代における密教に関する研究方法の問題点を指摘した。

第三章「空海の著作について」では大半の著作年代が明らかでない空海の著作の年代論を取り上げ、また『大日経開題』諸本中の数本を用語の用法や経典解釈法などを判断基準として、空海より後世の作になると推定した。

第二編では空海の「真理と言語との関係」を表す「法身説法」思想が主張された時代背景とその動機について考察した。

第一章「顕と密」では従来空海の独創と考えられてきた顕密対弁思想について、同時代の三論宗の学僧である玄叡の『大乗三論大義鈔』に見られる顕密概念の背景を探ることによって、空海が顕密対弁思想を打ち出した時代背景やその意図について考察した。玄叡は三論宗の学僧であったが、空有論諍において法相宗に対抗するために、三論宗の祖師である吉蔵の顕密概念よりも、法相宗正統派から異端視されていた中国の学僧である法宝の顕密概念を重視して採用した。また玄叡は同著の中で顕密の区別についてしばしば取り上げていることから、当時日本三論宗内部で顕密の定義について議論があったと推測される。このような状況を踏まえた上で、空海の『弁顕密二教論』を考察すると、空海は当時の学僧にとっては顕と密とを対比させることを自明のこととして扱った上で、「密」を「顕」より高く位置づけるという定義を自らが請来した密教経論を引用して解釈することにより打ち出していることを明らかにし、『二教論』における空海の顕密の価値観は吉蔵の理解の一つを継承している可能性を指摘した。

第二章「法身説法」では空海の法身説法思想が形成された背景とそれを主張した動機について論じた。一般的な仏教理解においては、純粋な抽象的真理である「法身」は具体的な活動である「説法」とは関わらないとされる。しかし、空海はこの仏教理解に対して、顕教においては「真理と言語とは断絶する」段階に止まるが、密教においては「真理と関わりあう言語があり」、「法身が直接に説法する」と主張した。従来の宗学研究では、一般的仏教教理から逸脱したともいえる法身説法思想を"正統的"なものと解釈しようとする傾向が見られるが、本章では第一に空海と同時代の空有論諍において「最高真理の状態において言語は絶え果てる」という教理が法相宗・三論宗それぞれの立場から主張されていることに着目して、空海の『二教論』における顕教の真理理解はこの両宗の真理理解を念頭に置いていると論じた。そして第二に「法身が説法する」という可能性は空海以前にも『楞伽経』を典拠として四句分別の形で日本の学僧にも認められていたが、空海はそれらの理解を踏まえつつ、当時の日本仏教界を代表する三論・法相両宗における「真理と言語とは断絶する」という"冷たい"真理理解に対して、自ら請来した密教経典を解釈する際に当時の学僧に知られていた『楞伽経』における「法身説法」の概念と重ね合わせつつ、「真理と関わる言語がある」とする『釈摩訶衍論』の記述を典拠として「法身が説法する」と主張することで空有論諍をより高次の立場から解決を図ろうとしたと論じた。

第三章「阿字本不生」では空海が阿字理解を通じて三論宗の否定的主張(遮情)から肯定的主張(表徳)へと転換していく過程について論じた。梵語の阿(a)字には(1)全ての字や教えの根源という意味と(2)単語の冒頭について否定辞となるという二つの特徴がある。空海は「無・不・非」を漢字の否定辞とする吉蔵の理解を踏まえて、一方で阿字を全ての教えの根源を説くものとして受容する。本章では従来あまり注目されていなかった吉蔵における阿字・否定辞理解を見た上で、空海の『吽字義』における阿字理解は吉蔵の否定辞理解を念頭に置いたものであり、『二教論』における三論宗の祖師である清弁の否定的理解に対する批判から『吽字義』においてはその批判対象を日本三論宗においてはより重要な祖師である吉蔵の否定的理解に向け、三論宗の根本祖師である龍樹(龍猛)の真の意図は積極的理解を説くことにあると三論宗の学僧を相手にその理解の変更を促した可能性について論述した。

第四章「空海と言尽意論」では西晋の欧陽建『言尽意論』と空海の思想との関係を考察した。本章では空海の著作やその典拠から空海が『言尽意論』を知っていた可能性が極めて高いと推測し、「真理と言語」をめぐる六朝期の仏教理解においては衆生教化や仏典翻訳に関して、真理を伝達する言語の重要な役割を認めていたことを確認し、その上で空海の「真理と言語とが対応する」という『二教論』『声字実相義』の主張は『言尽意論』の主張に近接したものであり、空海がこれら六朝期における真理と言語との関係を踏まえた上で「法身説法」説を主張した可能性について論じた。

第三編では空海の十住心教判の成立過程について論じた。

第一章「空海著作中に見られる十住心思想の萌芽」では従来から十住心教判の萌芽が見られるとして注目されていた著作に加えて、『聾瞽指帰』『性霊集』『請来目録』に見られる十住心思想と関連する記述に注目し、最澄の徳一との論争や南都からの大乗戒壇独立運動が行われる弘仁末年頃から、空海の関心がそれまでの三論・法相両宗を中心としたものから天台・華厳を含む全仏教界に広がったことを確認した。そして、入唐中に惠果より受け継いだ大日如来を中心として諸菩薩・諸教をその周囲に位置づける十住心教判の骨格となる思想は空海の後期著作に目だって現れるようになり、天長四年頃には十住心教判の骨格ができ、天長七年頃に『十住心論』として結実することを論じた。

第二章「三論・法相の位置づけの変化」では空海の初期著作においては、三論・法相両宗の教理を「真理と言語とは断絶する」と理解していたのに対し、次第に天台・華厳をも位置づける視点が導入されるようになり、後期著作においては、この両宗の教理理解が「八不空性・八識三性」といった一般的理解に変化する。これは弘仁末年の最澄の諸活動以来、仏教界の空有論諍に対する関心が低下したのに伴って、空海の両宗に対する関心も相対的に低下した結果と考えられる。また空海は『十住心論』深秘釈において法相・三論両宗に対して簡略な扱いをしているが、それは初期著作において既に三論・法相両宗に対して優位を確保した結果であり、その理解は『十住心論』に至るまで変化することなく引き継がれることを論じた。

第三章「天台宗(第八住心)の位置づけとその到達点」では、空海が『十住心論』第八住心・深秘釈を他の住心に適用した理論に合わせるために行った調整過程とその到達点について考察した。空海は『十住心論』深秘釈において、第六住心から第九住心までの各宗が尊崇する菩薩とその菩薩を象徴する梵字一字を挙げ、その一字にその宗の教理全てが収められるという理論を用いているが、天台宗が尊崇する菩薩として観音菩薩を挙げることは他の住心に比べて教理的に無理があった。そのため空海は中国仏教において「諦」(satya真理)と「観察」が結び付けられていることに注目し(1)『大日経』に基づく「諦」をsa字が象徴するとする考え方(2)『大日経疏』における観音菩薩の真言の第二の可能性である薩(sa)字(3)『法華経』の梵語題名の冒頭の字が薩字であるといった共通性を挙げることで、天台宗を象徴する菩薩と真言を観音菩薩と「薩字」であると位置づけた。空海が天台宗の教理全体を「薩字」が象徴するとして位置づけを図る過程は空海の『法華経開題』諸本に見出され、『十住心論』においてその到達点が示されたことを論じた。

第四章「空海の真理観」では、空海の真理観が『十住心論』において華厳教学との差異を明確にしていく際に統一的に組織化されたことを論じた。<真理の遍在>は『華厳経』と密教経典に共通する点であり、空海も初期著作では法相宗の世界観に対抗するために、『華厳経』や華厳教学で用いる<真理の遍在>という世界観やその用語を取り入れていた。しかし、密教経典に典拠を持ち、空海の真理観を示す「法爾・不変・常恒」という理解は、当時の日本華厳教学が法相宗より上位に立つために「真如」の規定として「不変」よりも「随縁」を重視する姿勢とは齟齬するものであった。そこで空海は秘密曼荼羅教の下に全仏教界を統合する際に、最も注意を払わなければならなかったのは、真言と華厳との真理観の差異を明確にして、華厳を真言の下位に位
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Created date2008.12.01
Modified date2016.01.14



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