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野鴨子飛到哪里去了 -- 馬祖禪與石頭禪
著者 小川隆
掲載誌 佛學研究=Buddhist Studies=Journal of Buddhist Studies
巻号n.14
出版年月日2005
ページ175 - 179
出版者中國佛教文化研究所
出版地北京, 中國 [Beijing, China]
資料の種類期刊論文=Journal Article
言語中文=Chinese
キーワード野鴨子; 石頭禪; 只這個漢; 渠
抄録唐代禪宗有兩大主流。一者南岳-馬祖系,二者青原-石頭系。后者是對立前者而分出來的。兩者的思想上的分歧在哪里呢?《祖堂集》卷五《大顛章》有這樣的記載。這是大顛初參石頭時的回想——石頭問:“阿哪個是汝心?”對曰:“即祗對和尚語言者是。”石頭便喝之。經旬日,卻問石頭:“前日豈不是!除此之外,何者是心?”石頭云:“除卻揚眉動目一切之事外,直將‘心’來!”這時候,大顛所根據的是馬祖禪的“作用是性”的思想。馬祖說:“祗今語言即是汝心”(《宗鏡錄》卷九十七),“長在法性三昧中,著衣吃飯,言談祗對。六根運用,一切施為,盡是法性。”(《馬祖語錄》)。大顛據于這種思想就認為“祗對”、“語言”、“揚眉動目”等作用就是自己的“本心”。但是,石頭堅決否定這種思想,要求大顛直接提出超越一切作用的“本心”來。馬祖禪是把自己的“本來性”(本心、佛性)與“現實態”(身心的作用)直截看成一件事,而石頭禪則深刻探求“本來性”與“現實態”之間的玄妙的關系。本文主要是想通過馬祖“野鴨子”的話頭來初步分析唐代禪宗兩大主流的分歧問題。
目次一、馬大師”野鴨子”176
二、馬祖的”野鴨子”與石頭的”指這個漢”176
三、渠今正是我 我今不是渠177
四、幸有專甲在178
ヒット数593
作成日2007.09.13
更新日期2018.05.17



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