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ツォンカパの縁起観:中論註『正理大海』XXIV, 9-40試訳=Tsong kha pa's View of Dependent Origination: Tentative Translation of XXIV, 9-40 of Rigs pa'I rgya mtsho, a Commentary on the Mādhyamika-kārikā |
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著者 |
安武智丸 (著)=Yasutake, Tomomaru (au.)
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掲載誌 |
佛教学セミナー=Buddhist Seminar=ブッキョウガク セミナー
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巻号 | n.72 |
出版年月日 | 2000.10.30 |
ページ | 21 - 43 |
出版者 | 大谷大学佛教学会 |
出版サイト |
http://www.otani.ac.jp/cri/nab3mq00000014de.html
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出版地 | 京都, 日本 [Kyoto, Japan] |
資料の種類 | 期刊論文=Journal Article |
言語 | 日文=Japanese |
目次 | 〈はじめに〉 21 〈和訳〉 23 【N2】二諦を知らなければ聖言の真実を知らないこと〈9〉 23 【N3】二諦を説示する目的〈10〉23 【N4】(K. 248b)二諦を誤って捉えた場合の弊害〈11〉 24 【N5】二諦は了解し難い為に説者が説法躊躇されたことについて〈12〉 25 【L2】述べられている過失が充たらないことの説示そのもの〈13〉 26 【L3】過失が存在しないだけでなく功徳が存在することについて〈14〉 26 【L1】(P. 365a)過失を立てる者にまさにその同じ過失が充たる理由 28 【L2】それよって自己の過失を他者の過失として捉えていること〈15〉 28 【L3】その諸々の過失であるものの明示〈16-17〉 28 【J2】自部の御主張が空の意味は縁起(rten byung) の意味であることの説示〈18-19〉 29 【K1】所知である四諦が妥当しないこと〈20-25〉 32 【K2】四諦の〔遍〕知などと四果が妥当しないこと〈26-28〉 33 【K3】三宝が妥当しないこと〈29-32〉 34 【K4】作者と業果が妥当しないこと〈33-35〉 34 【K5】世間の言語慣習が妥当しないこと〈36-38〉 35 【K6】出世間の言語慣習が妥当しないこと〈39〉 36 【J4】縁起(rten byung) の真実を見ることが四諦の真実を見ることになる〈40〉 36 【H2】本章の概要および特質の解説 37 |
ISSN | 02871556 (P) |
ヒット数 | 1267 |
作成日 | 2009.04.30 |
更新日期 | 2022.02.25 |
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