|
|
|
『八幡宇佐宮御託宣集』における「幽玄」の論理 - 託宣と本地をめぐって |
|
|
|
著者 |
村田真一 (著)=Murata, Shinichi (au.)
;
佛教大学学術委員会大学院紀要編集委員会
|
掲載誌 |
佛教大學大學院紀要
|
巻号 | n.33 |
出版年月日 | 2005.03 |
ページ | 49 - 64 |
出版者 | 佛教大學大學院 |
出版地 | 京都, 日本 [Kyoto, Japan] |
資料の種類 | 期刊論文=Journal Article |
言語 | 日文=Japanese |
キーワード | 八幡大菩薩; 本地幽玄; 中世八幡信仰; 八幡宇佐宮御託宣集; 託宣 |
抄録 | 宇佐弥勒寺の僧神吽が編述した『八幡宇佐宮御託宣集』は、中世八幡信仰を知る上で重要なテキストである。八幡大菩薩の本地は、一般的には釈迦・阿弥陀とされることが多い。しかし、『託宣集』では釈迦・阿弥陀の両者とも八幡大菩薩の本地とはされておらず、しかも神吽は八幡大菩薩を「本地幽玄」として、その本地が不可知であることを示している。この言説は、八幡信仰だけではなく、神仏習合思想の中でも特殊なものである。託宣によって意思を表明する八幡大菩薩は『託宣集』において、中世的な本地垂迹説を受容しながらも、そこから突出するものとしてあらわれているのである。 |
目次 | はじめに 49 一、顕現記事と釈迦 50 二、殺生の罪と出家 53 三、阿弥陀本地説をめぐって 56 四、託宣神と「本地幽玄」の論理 59
|
ISSN | 13442422 (P) |
ヒット数 | 581 |
作成日 | 2009.07.17 |
更新日期 | 2021.01.13 |
|
Chrome, Firefox, Safari(Mac)での検索をお勧めします。IEではこの検索システムを表示できません。
|