サイトマップ本館について諮問委員会お問い合わせ資料提供著作権について当サイトの内容を引用するホームページへ        

書目仏学著者データベース当サイト内
検索システム全文コレクションデジタル仏経言語レッスンリンク
 


加えサービス
書誌管理
書き出し
「說一切有部」的業力論
著者 李世傑
掲載誌 佛光學報=Fokuang Buddhist Journal
巻号n.3
出版年月日1978.08
ページ39 - 49
出版者佛光山宗務委員會
出版地高雄縣, 臺灣 [Kaohsiung hsien, Taiwan]
資料の種類期刊論文=Journal Article
言語中文=Chinese
キーワード說一切有部; 業力
抄録有部認為,發生萬有之因,是從有情本身的「業」而來. 據俱舍論看,「業」是以「思」的心所及其外表的發動為體,前者為「思業」後者為「思已業」,意業是思業,語意是思已業. 身語二業又各分為「表業」「無表業」,說一切有部認為「無表業」附帶於物質,其本身無思慮性,無分別性,所以「無表色」是色法. 據俱舍論看,分別諸法善不善的依據,為勝義,自性,相應,等起. 有部認為「等起」有二種,即「因等起」與「剎那等起」. 決定「表業」善惡的根據,在「因等起」. 「說一切有部」對「業」本體的看法,是現實性,道德性,具體性的,所以有部把「業」的本體看作是色法,而由「等起」的思想導出善惡業報,在造業時依因感果,則「無表業」可能持續到後世而招苦樂果報.

目次一 前言
二 業的本體
三 業與等起
四 無表業的存續問題
五 結語
ヒット数951
作成日2001.04.19
更新日期2020.04.06



Chrome, Firefox, Safari(Mac)での検索をお勧めします。IEではこの検索システムを表示できません。

注意:

この先は にアクセスすることになります。このデータベースが提供する全文が有料の場合は、表示することができませんのでご了承ください。

修正のご指摘

下のフォームで修正していただきます。正しい情報を入れた後、下の送信ボタンを押してください。
(管理人がご意見にすぐ対応させていただきます。)

シリアル番号
252036

検索履歴
フィールドコードに関するご説明
検索条件ブラウズ