サイトマップ本館について諮問委員会お問い合わせ資料提供著作権について当サイトの内容を引用するホームページへ        

書目仏学著者データベース当サイト内
検索システム全文コレクションデジタル仏経言語レッスンリンク
 


加えサービス
書誌管理
書き出し
絕對與圓融(中) -- 中國佛教思想的特質
著者 霍韜晦
掲載誌 鵝湖月刊=Legein Monthly
巻号n.90
出版年月日1982.12
ページ16 - 26
出版者鵝湖月刊社
出版サイト http://www.oehu.org.tw/Oehu.htm
出版地臺北市, 臺灣 [Taipei shih, Taiwan]
資料の種類期刊論文=Journal Article
言語中文=Chinese
キーワード中國佛教=Chinese Buddhism
抄録佛教思想在印度的發展,結果開出兩種不同形態的絕對觀念:一是從客觀存在的路入,超越地探索絕對,發現絕對空即絕對有的實相;一是從主觀境界的路入,把存在收歸主體,通過主體的活動重新把它彰顯出來。前一形態基本上是「般若」、中觀的哲學之路,後一形態是「華嚴」、「涅槃」、「楞伽」、「解深密」所說的如來藏、阿賴耶識的哲學之路。若用傳統觀念解釋,則前一形態是「空門」,後一形態是「有門」。不過有關「空」的意義,中國佛教傳統一般都把它作為方法論上的概念來處理,即「蕩相遣執」,表現出一種消解精神,不取相、不著相,而未能了解「空」亦是一存有論上的概念,目的在展露真實存有,所以沿用「空門」恐引起誤解,而且其涵義亦不夠明確。同一道理,「有門」雖然是肯定存在,但如此虛泛的「有」不能說明「有」的真實意義,不能點出此「有」在主體上的根據,很容易與實在論的「有」相混,所以亦不可取。事實上,佛教所說的「有」,除小乘有部系統走實在論的路線外,大乘都是把「有」歸屬主體,以心識或如來藏為存有之根。以上這兩條入路:客觀存在與主觀境界,到最後都進入絕對,不過一個是從客觀真實來籠罩主體,一個是從主體方面統攝客觀世界,其方向恰相反,而相成。


目次三、中國佛教的圓融之路 16
1. 佛教在中國方向的轉變 16
2. 客觀存在的入路 : 三論宗、天台宗 17
ISSN18133738 (P)
ヒット数558
作成日1998.07.22
更新日期2020.02.04



Chrome, Firefox, Safari(Mac)での検索をお勧めします。IEではこの検索システムを表示できません。

注意:

この先は にアクセスすることになります。このデータベースが提供する全文が有料の場合は、表示することができませんのでご了承ください。

修正のご指摘

下のフォームで修正していただきます。正しい情報を入れた後、下の送信ボタンを押してください。
(管理人がご意見にすぐ対応させていただきます。)

シリアル番号
263135

検索履歴
フィールドコードに関するご説明
検索条件ブラウズ