サイトマップ本館について諮問委員会お問い合わせ資料提供著作権について当サイトの内容を引用するホームページへ        

書目仏学著者データベース当サイト内
検索システム全文コレクションデジタル仏経言語レッスンリンク
 


加えサービス
書誌管理
書き出し
法源寺開山祖師 -- 斌宗大師略傳
著者 覺風季刊編輯部 (著)
掲載誌 覺風季刊=覺風會訊
巻号n.1 創刊號
出版年月日1992.12.15
出版者覺風佛教藝術文化基金會
出版サイト https://www.chuefeng.org.tw/
出版地新竹市, 臺灣 [Hsinchu shih, Taiwan]
資料の種類期刊論文=Journal Article
言語中文=Chinese
キーワード釋斌宗; 法源寺
抄録 昨日早上約十點,寬謙師父集合四眾弟子為上人作一雖是簡單卻不失莊嚴的法會。結束之後師父亦為弟子們簡介一番。
斌宗上人民國前一年生,上人是寬謙法師的師公。永修精舍慈心長老尼亦是依止斌宗上人。上人俗姓施名能展,民國前一年(辛亥)生於臺灣鹿港。少時智慧超人,五歲時就有成人的智慧,能教化同期小朋友行善,諸惡莫作。天資超人,坐立端正,品性良好,且有驚人的記憶力。
十四歲那年春天,一日,遇一買賣古書者挑擔許多書籍從門前經過。上人素極愛好古書,乃喚住該書販,觀其書籍,多為前所未聞未見佛書。由是曾要求出家,但未得其父之許可。這時追求真理之心願已堅決,後逃往獅頭山禮閒雲禪師出家。
三年後,結茅獨居於汴峰,授徒維生,拒受任何供養。在「簞瓢屢空」的情形下,仍自研法華、楞嚴諸大乘經典。往來皆鴻儒墨客,過著怡然樂道的生活。
當時,台灣佛教多泥於「應酬佛事」的層灰,上人慨然以扶蔽起衰為己任,決心內渡求法。民國廿二年春,先至福建遊學,得參訪虛雲老和尚。翌年於天童寺受具足戒於圓瑛老法師,之後步行禮九華,遊奉化雪竇寺;而至觀宗寺從寶靜法師參學,法師驚其學力,欲聘為副講,尚仁辭而不就,遂網謁天台靜權法師,甚得器重。
那時全面抗戰已開始,到處烽火,上人離山歸台,不久即南下龍湖庵弘法,首開台灣僧人研究經典知風氣。二十餘年間,上人講經宏化,悉遵天台家法。說理精闢,深入簡出,法緣殊勝,每每座無虛席。
創建法源講寺
這時新竹的信徒都深望上人在新竹建寺為弘法道場,在法王寺掛錫期間,路經古奇峰,觀其風景佳麗,且可眺望臨海,讚嘆不已。三十三年法源講寺落成,三十八年設「南天台佛學研究所」,四十四年又創設「南天台弘法院」於台北市。
上人因南北講經,弘法過勞,於四十七年二月觀音成道日果滿示寂於弘法院 (響 。上人乃「解」「行」並重之高僧,一生大慈大悲弘法利生,戒行極行莊嚴。著有《般若心經要釋》、《阿彌陀經要講》、《山居雜詠》等流通於世。
ヒット数517
作成日1999.09.13
更新日期2022.11.25



Chrome, Firefox, Safari(Mac)での検索をお勧めします。IEではこの検索システムを表示できません。

注意:

この先は にアクセスすることになります。このデータベースが提供する全文が有料の場合は、表示することができませんのでご了承ください。

修正のご指摘

下のフォームで修正していただきます。正しい情報を入れた後、下の送信ボタンを押してください。
(管理人がご意見にすぐ対応させていただきます。)

シリアル番号
339743

検索履歴
フィールドコードに関するご説明
検索条件ブラウズ