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著者 |
沖本克己 (著)=Okimoto, Katsumi (au.)
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掲載誌 |
中華國際佛學會議實錄(第3屆):人間淨土與現代社會: = The Record of Chung-Hwa International Conference on Buddhism(3rd): The "Earthly" Pure Land and Contemporary Society
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出版年月日 | 1998.02 |
ページ | 148 - 149 |
出版者 | 法鼓文化出版社=Dharma Drum Culture |
出版サイト |
http://www.ddc.com.tw
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出版地 | 臺北市, 臺灣 [Taipei shih, Taiwan] |
資料の種類 | 會議論文=Proceeding Article |
言語 | 日文=Japanese |
ノート | 中日文提要; 中文論文提要:頁90. |
キーワード | 坐禪; 念佛; 實踐佛教; 大眾レベル; 日本的風土; 沖本克己; Okimoto, Katsumi |
抄録 | 禪佛教と淨土教﹑即ち坐禪と念佛を求心的宗教と遠心的宗教としてとらえる見方があり﹑この相反する方向性からしても﹑現在の日本では禪と念佛とはもっとも異なった大乘佛教の二大類型として考えられるのが一般である. 實際﹑禪宗と真宗とはそれぞれの中央のレベルでは﹑教義やそこで行われる宗教行事﹑文化現象では顯著な相違を示している. しかしそれが大眾レベルに近づくにつれて樣相は單一化し﹑かえって肝心の宗旨の相違は重要な要素でさえなくなってしまうという構圖が浮かび上がってくる.
これらは如何なる原因によるのであろうか. そして﹑兩者は決して一致することのない異なった宗教型態なのであろうか. そのことに對する見通しを立てるために﹑ここでは中國の禪宗史を文獻によって概觀する. およその見通しは次の通りである.
菩提達摩に始まる禪宗はそれまでの中國佛教史を實踐的に總括する思想史的な意義を持つが﹑その實踐思想は念佛を排除するものではなかった. 實際﹑彼の後繼者たちは樣樣な宗派と交流しながら總合的な實踐佛教を打ち立てることに努力し﹑そこには念佛も大きな要素として取りこまれている.
完成期の隱遁的な禪宗では念佛は言及されることがなく﹑表面的には排除されているが﹑教團が擴大し都市に進出するに連れて再び大眾接化の手段として念佛が重視されるのが觀測されるのである.
こうした現象は日本でも同樣で﹑禪にとっても淨土は相互補完的な重要な位置付けを持つ. ここでは特異な淨土思想を產み出した日本的風土の問題を視野に入れつつこうした事柄の思想史的意義を探究する.
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ISBN | 9578473567 |
ヒット数 | 495 |
作成日 | 2000.12.05
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更新日期 | 2015.08.11 |
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