サイトマップ本館について諮問委員会お問い合わせ資料提供著作権について当サイトの内容を引用するホームページへ        

書目仏学著者データベース当サイト内
検索システム全文コレクションデジタル仏経言語レッスンリンク
 


加えサービス
書誌管理
書き出し
pravartakaを廻るDharmottaraとPrajnakaraguptaの論争=Controversy between Dharmottara and Prajnakaragupta Regarding Pravartaka
著者 三代舞 (著)=Miyo, Mai (au.)
掲載誌 印度學佛教學研究 =Journal of Indian and Buddhist Studies=Indogaku Bukkyōgaku Kenkyū
巻号v.62 n.3 (總號=n.133)
出版年月日2014.03
ページ1287 - 1292
出版者日本印度学仏教学会
出版サイト http://www.jaibs.jp/
出版地東京, 日本 [Tokyo, Japan]
資料の種類期刊論文=Journal Article
言語英文=English; 日文=Japanese
キーワードpratyaksa; pravartaka; niscaya; abhyasa; Dharmottara; Prajnakaragupta
抄録DharmakirtiがPramanavarttikaのPramanasiddhi章3cd偈で述べた「知は,取捨されるべき対象に対する行動(pravrtti)の主要因であるから」という文言に従って,彼の後継者たちは,「正しい知たるpramanaは,認識者たる人を行動させるもの(pravartaka)である」という共通見解を有している.しかし,pravartakaが如何に機能するかという点に関する理解は必ずしも一定しない.そこで本稿では,無分別知たる知覚(pratyaksa)がどのように人に行動を起こさせるのか,という点に問題を絞り,Dharmakirtiの見解を確認した上で,DharmottaraとPrajnakaraguptaの解釈の違いを検討する.DharmakirtiはPramanaviniscavaのPratyaksa章18偈で,知覚から行動へのプロセスを,「過去の鮮明な経験⇒現在の知覚⇒想起⇒欲求⇒行動」というように提示する.この場合には,知覚は行動の十分条件ではなく,過去の経験を伴い,想起や欲求を通じて行動を引き起こす.Dharmottaraは,ある文脈ではDharmakirtiと同じプロセスを提示しつつも,可能性(yogyata)としての行動という概念を取り入れ,知覚そのものの作用である対象認識(arthadhigati)の完成をもって行動の完成と見なした.しかし,その対象認識は,知覚に後続するその知覚の内容を決定(niscaya)する分別知を伴って初めて実効性をもつため,必ずしも知覚のみで行動が成り立つわけではない.一方Prajnakaraguptaは,そのような分別知の介在をはっきりと否定し,無分別たる知覚から直接的に行動が起こると主張した.ただしその場合の知覚は,十分な反復経験(atyantabhyasa)を前提とするもののみに限定される.
ISSN00194344 (P); 18840051 (E)
ヒット数737
作成日2015.09.09
更新日期2019.05.23



Chrome, Firefox, Safari(Mac)での検索をお勧めします。IEではこの検索システムを表示できません。

注意:

この先は にアクセスすることになります。このデータベースが提供する全文が有料の場合は、表示することができませんのでご了承ください。

修正のご指摘

下のフォームで修正していただきます。正しい情報を入れた後、下の送信ボタンを押してください。
(管理人がご意見にすぐ対応させていただきます。)

シリアル番号
546153

検索履歴
フィールドコードに関するご説明
検索条件ブラウズ