サイトマップ本館について諮問委員会お問い合わせ資料提供著作権について当サイトの内容を引用するホームページへ        

書目仏学著者データベース当サイト内
検索システム全文コレクションデジタル仏経言語レッスンリンク
 


当書目の情報提供者は 李玉珉老師 です
加えサービス
書誌管理
書き出し
五、六世紀東方沿海地域與佛教 -- 攝山棲霞寺的歷史
著者 吉川忠夫 (著)=Yoshikawa, Tadao (au.) ; 王維坤
掲載誌 敦煌學輯刊=Journal of Dunhuang Studies
巻号v.1991 n.2
出版年月日1991
ページ91 - 103
出版者蘭州大學敦煌學研究所敦煌學輯刊編輯部
出版サイト http://dhxyjs.lzu.edu.cn/
出版地蘭州, 中國 [Lanzhou, China]
資料の種類期刊論文=Journal Article
言語中文=Chinese
キーワード棲霞寺; 明征君碑; 明僧紹; 攝山; 左金吾衛; 朝議郎; 唐高宗李治; 州刺史; 朝散大夫; 郁洲
抄録與濟南靈巖寺、天台國清寺、荊州五泉寺並稱為中國四大名剎之一的攝山棲霞寺, 位於南京市東北郊外約二十公里的地方, 現在因寺名的關系, 這裡屬於南京市棲霞區。在此寺門前的碑亭中, 收藏著一幢題為“明徵君碑”的篆書額頭碑, 在“攝山棲霞寺明徵君之碑”碑題之後, 還 刻了一行“禦制”、“朝議郎行左金吾衛長史侍相王書臣高正臣奉救書”、“朝散大夫守太子洗馬知敬篆一仔”, 在末尾處還刻有“上元三年歲在景子四月戊戍朔廿五日壬戍建”的立碑日期。土元三年應是公元六七六年。所以說, 所謂“禦制” 就是指庸高宗李治的撰文, 億碑的理山, 在《舊唐沾》卷一九一方伎明崇儼傳中能夠找到。明崇儼( ? -- 公元六七九年)是唐高宗的正諫大夫、也是一位專門從事佔卜來往於宮的方術士。正 如文獻中所記載的那樣:“崇儼每因渴見, 輒假以神道, 頗陳時政得失, 常深加允納。潤州棲霞寺, 是其五代祖梁處士山賓故宅, 常特為制碑文, 親書於石, 論者榮之”。不過, 這段記載稍有出入之處。所說的“親書於石”, 片非屬於事實。此處的明山賓, 應該改為明僧紹。明門僧紹在《南齊書》卷五四高逸傳以及《南史》卷五十中均有記載, 他是明山賓的父親。山於他本人自建國以來, 直作為一名隱居不仕的處士而渡過了自己的一生, 所以被稱為明徵君。
ISSN10016252 (P); 10016252 (E)
研究種類佛教-歷史
研究年代南北朝-南朝
研究地域江蘇(南京棲霞山棲霞寺)
ヒット数324
作成日2016.05.12
更新日期2018.01.19



Chrome, Firefox, Safari(Mac)での検索をお勧めします。IEではこの検索システムを表示できません。

注意:

この先は にアクセスすることになります。このデータベースが提供する全文が有料の場合は、表示することができませんのでご了承ください。

修正のご指摘

下のフォームで修正していただきます。正しい情報を入れた後、下の送信ボタンを押してください。
(管理人がご意見にすぐ対応させていただきます。)

シリアル番号
553851

検索履歴
フィールドコードに関するご説明
検索条件ブラウズ