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Doctrinal Debate in Tang-dynasty Vinaya Commentaries: The “Substance of the Precepts” in the Works of Fali, Daoxuan, and Huaisu=初唐に於ける戒体論の変容:法礪・道宣・懐素の『四分律』注釈書を中心に
著者 Newhall, Thomas (著)=ニューホール トーマス (au.)
掲載誌 印度學佛教學研究 =Journal of Indian and Buddhist Studies=Indogaku Bukkyōgaku Kenkyū
巻号v.66 n.3 (總號=n.145)
出版年月日2018.03.25
ページ1157 - 1161
出版者日本印度学仏教学会
出版サイト http://www.jaibs.jp/
出版地東京, 日本 [Tokyo, Japan]
資料の種類期刊論文=Journal Article
言語英文=English
キーワードThe substance of the precepts=jieti 戒體; Vinaya School=Lü zong 律宗; Daoxuan=道宣; Fali=法礪; Huaisu=懷素
抄録中国の初唐(6–7世紀)において,三人の学僧である相州の日光寺の法礪(569–635),終南山の豊徳寺の道宣(596–667)と京の長安の崇福寺の東塔の懐素(634–707)が,『四分律』に対する注釈書を執筆し,それぞれ相部宗,南山宗,東塔宗という三つの戒律学の系統が形成される.

本稿では,各者の論書に見える戒体論の内容と相違点を考察する.結果として,道宣は初め『行事鈔』において『成実論』による「非色非心説」を用い,後に『羯磨疏』では「種子戒体説」を主張するのに対して,法礪と懐素は有部系の「色法戒体説」を主張するようである.法礪と懐素の戒体論については,さらなる検討の余地があるが,三人は皆四分律宗の伝統的な解釈の拠り所とされる『成実論』の説を批判するので,当時には『成実論』を律宗の解釈では用い難くなっていたのではなかろうか.
目次Introduction 1157
The “created” and “uncreated” Precepts in Faliʼs Sifenlü shu 1157
Daoxuanʼs Two Theories of the Substance of the Precepts 1158
Huaisuʼs Position in the Kaizong ji 1159
Conclusions 1160
ISSN00194344 (P); 18840051 (E)
DOIhttps://doi.org/10.4259/ibk.66.3_1157
ヒット数399
作成日2022.08.09
更新日期2022.08.09



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