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浄影寺慧遠『大乗義章』「浄土義」に説かれる浄穢の議論について=The Coexistence of Purity and Impurity in Buddha-lands in Jingyingsi Huiyan’s Dasheng yizhang
著者 工藤量導 (著)=Kudo, Ryodo (au.)
掲載誌 印度學佛教學研究 =Journal of Indian and Buddhist Studies=Indogaku Bukkyōgaku Kenkyū
巻号v.67 n.2 (總號=n.147)
出版年月日2019.03.20
ページ771 - 776
出版者日本印度学仏教学会
出版サイト http://www.jaibs.jp/
出版地東京, 日本 [Tokyo, Japan]
資料の種類期刊論文=Journal Article
言語日文=Japanese
キーワード慧遠; 慧影; 大乗義章; 大智度論疏; 浄穢; 浄土義; 仏土論; 心浄土浄; 霊山浄土; 同処異見; 一質異見
抄録In this paper, I consider the coexistence of purity and impurity in Buddha-lands in Jingyingsi Huiyan’s (浄影寺慧遠) Chapter on the Pure Land (浄土義) of his Dasheng yizhang (大乗義章). In the literature of Chinese Buddhism from the Eastern Jin dynasty 東晋 until the Northern and Southern dynasties period, it was an important issue why purity and impurity could co-exist in Buddha-lands, based on the theory of the Saddharmapuṇḍarīkasūtra (法華経) and the Vimalakīrtinirdeśa (維摩経). I point out that Jingyingsi Huiyan was trying to solve this problem by presenting the original theory based on the understanding that Buddha and sentient beings each had their own Buddha-lands.
目次一 はじめに 771
二 慧遠の浄土思想および著作成立時期に関する研究 771
三 『大乗義章』「浄土義」における仏土の議論 772
四 東晋代から南北朝期における浄穢の議論との比較 773
五 おわりに 775
ISSN00194344 (P); 18840051 (E)
DOIhttps://doi.org/10.4259/ibk.67.2_771
ヒット数183
作成日2022.08.15
更新日期2022.08.15



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