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吉蔵における浄穢の議論=The Coexistence of Purity and Impurity in Buddha-lands in Jizang’s 吉蔵 Writings
著者 工藤量導 (著)=Kudo, Ryodo (au.)
掲載誌 印度學佛教學研究 =Journal of Indian and Buddhist Studies=Indogaku Bukkyōgaku Kenkyū
巻号v.69 n.1 (總號=n.152)
出版年月日2020.12.25
ページ218 - 223
出版者日本印度学仏教学会
出版サイト http://www.jaibs.jp/
出版地東京, 日本 [Tokyo, Japan]
資料の種類期刊論文=Journal Article
言語日文=Japanese
キーワード吉蔵; 法華玄論; 法華義疏; 華厳遊意; 浄名玄論; 法華統略; 維摩経義疏; 観経義疏; 浄穢; 同処異見; 一質異見
抄録In this paper, I consider the coexistence of both purity and impurity in Buddha-lands in Jizang’s 吉蔵 writings. In the literature of Chinese Buddhism from the Eastern Jin東晋until the Northern and Southern dynasties period, we find an important question why purity and impurity could co-exist in Buddha-lands, based on the theory of the Saddharmapuṇḍarīka法華経 and the Vimalakīrtinirdeśa 維摩経.This issue was already being actively discussed at the time of Jizang’s composition of the Fahua xuanlun 法華玄論.There was a common understanding that this issue was very difficult to understand. In response, Jizang wrote the Huayan youyi 華厳遊意,and deepened the thinking about this question.
目次一 はじめに 218
二 吉蔵の各著書における浄穢の議論 218
三 各時代における浄穢の議論について 219
四 おわりに 223
ISSN00194344 (P); 18840051 (E)
DOIhttps://doi.org/10.4259/ibk.69.1_218
ヒット数124
作成日2022.10.05
更新日期2022.10.05



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