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根源的「時」の開けとしての「念」・・・『一念多念文意』考 |
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著者 |
高柳正裕 (著)
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掲載誌 |
同朋仏教=ドウホウ ブッキョウ=The Doho Bukkyo: The Journal of Buddhism
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巻号 | n.56 |
出版年月日 | 2020.07 |
ページ | (1) - (22) |
出版者 | 同朋大学仏教学会 |
出版サイト |
http://www.doho.ac.jp/
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出版地 | 名古屋, 日本 [Nagoya, Japan] |
資料の種類 | 期刊論文=Journal Article |
言語 | 日文=Japanese |
目次 | 凡例 1 はじめに 1 本論 4 ◼法然上人の回心の意味 4 ◼善導大師と法然上人における称名念仏の了解 6 ◼行為としての念仏理解に潜む「疑」と「時」の問題 11 ◼「去・来・現」(=永遠)の開けとしての「南無の一念」14 ◼夢告から『一念多念文意」が生まれた必然性 17 結びに代えて 18 註 19 |
ISSN | 02898403 (P) |
DOI | https://doi.org/10.15076/00002220 |
ヒット数 | 90 |
作成日 | 2023.07.26 |
更新日期 | 2023.07.26 |
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