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著者 |
和田真雄 (著)=Wada, Shinyu (au.)
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出版年月日 | 2015.12.20 |
ページ | 93 |
出版者 | 法藏館 |
出版サイト |
https://pub.hozokan.co.jp/
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出版地 | 京都, 日本 [Kyoto, Japan] |
シリーズ | みんなのための法話シリーズ |
資料の種類 | 書籍=Book |
言語 | 日文=Japanese |
キーワード | 真宗; 感想・説教 |
抄録 | 仏教を学んでも信仰しても、救われたという実感が湧かない。仏教の「救い」って何なんだろう。どうすれば信心を得て救われたと思えるのか――そんな心のモヤモヤに答えます。 |
目次 | ①凡夫が凡夫のままで 救われるとはどういうことか 一 凡夫のままで救われるというのは、ほんとうに嬉しいことなのか 二 私は、父親に植民地支配されているようなもの 三 悩みや苦しみを持ったままでの救いは、ほんとうにあることなのか ②そもそも、人間はなぜこれほど生き方に悩むのか 一 人間は、進化のはてに生き方に悩む存在になった 二 言葉を身につけた人間が抱えることになった虚無 三 興味関心の違いで独自の世界を作る人間 ③人間が獲得した、本質的な虚無を克服する方法 一 人間は、虚無を克服するために自己信頼の心を育てた 二 自己信頼の心は、共感によって育てられる 三 自己信頼の心が、本質的な虚無を克服する具体的なすがた 四 自己信頼の心が支える前向きな人生 ④自己信頼の心の濃淡が生み出す、さまざまな人生のタイプ 一 生まれた後で獲得するために、濃淡ができる自己信頼の心 二 さまざまな人生のタイプ ①自信にあふれて頼りになる前向きタイプ ②頼りなさがあるが前向きの楽天タイプ ③堅実・着実な人生を目指し、努力を怠らない努力家タイプ ④本質的な虚無を背負うタイプ 三 本質的な虚無を克服した人間の自己中心的な生き方 四 本質的な虚無を克服できない人に救いの道はあるのか ⑤罪悪深重の凡夫の救いを開かれた親鸞聖人の求道 一 比叡山での修行に挫折して、法然上人のもとに 二 有縁の法に対する不審の心 三 罪悪深重の凡夫の自覚は、本質的な虚無・無明の自覚 ⑥虚無・無明を背負う人間を救う他力の悲願 一 罪悪深重の衆生をたすけんがための他力の悲願 二 親鸞聖人の他力の悲願の受け止めの特徴 三 他力の悲願の共感による受け止め ⑦他力信心の救いを実感する 一 自己信頼の心を開く他力信心の救いの世界 二 他力信心の救いの実感 あとがき |
ISBN | 9784831887399; 4831887390 |
ヒット数 | 25 |
作成日 | 2024.07.23 |
更新日期 | 2024.07.23 |

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