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チベット仏教求法僧能海寛とともに歩んだ25年: 能海寛研究会創設25年記念出版機関誌『石峰』収録論文集
著者 岡崎秀紀 (著)
出版年月日2024.05
ページ24
出版者Independently published 獨立出版
資料の種類書籍=Book
言語日文=Japanese
抄録本書は、チベット探検先駆者である能海寛(1868−1901)の業績について書いた、著者の25年間の研究論文の概要を紹介するものです。
1 島根県浜田市金城町出身の能海寛は、生涯をかけてチベット仏教を追求した明治時代の学僧でした。仏教の原典を入手する目的でチベット入りを目指し、1898年日本を発ちました。1899年より2年半の間に3度、中国大陸をのべ1万2千m探検し、ラサ入りに挑戦しました。不幸にも最後は、雲南省奥地で消息を断ちました。しかし、能海はチベットの地に入った最初の日本人となりました。また、探検の途次では、チベット仏教の仏典研究、地誌などの著述をなし、日本に届けました。
(1)少年期より強い向学心:
  生家の浄蓮寺に漢籍『大唐西域記』があって、少年能海は、その中のインドヒマラヤ山、西藏国チンチブカ(カンチェンジュンガ?)の名を記録(1882)していました。海外への関心を持つきっかけとなったと思われます。
(2)英語で新分野を拓く:
  少年能海が英語を学び始めたのは、1877年広島進徳教校に入学した時でした。以後、京都普通教校・文学寮(1886-89)、慶應義塾(1890)で、仏教学と同時に英語を身につけました。その実力は、英文機関誌『Widom&Mercy(智慧と慈悲)』(1890〜)などで発揮されました。普通教校では海外宣教会の活動に関わり、仏教経典の英語翻訳を行っています。1893年に発表した自著『世界に於ける佛教徒』では、当時最新の世界の仏教や宗教の研究者の著作を参照しています。
(3)世界の仏教関係者と交流:
  英語を身につけたことで、世界の仏教家と交流が広がりました。1889年に来日した英国ジャーナリストで仏教叙事詩『アジアの光』(1879)の著者であるE.アーノルド卿と交流し、経典の英語翻訳を添削指導してもらっています。同じく1889年には、国際仏教復興運動を主導したダルマパーラと面談し、仏教者にとってサンスクリットと英語の重要性、英文雑誌の刊行などを議論しています。2人との出会いは、『世界に於ける佛教徒』(1893)に記載されています。
(4)サンスクリット経典をもとめて:
  能海は仏教経典のルーツに目覚めた人でありました。1888年には西藏行きを公言しています。サンスクリット経典の忠実な翻訳が西藏にあり、それを入手し、さらに英語に翻訳して世界に普及させるとの目標を持っていたからでした。 
(5)地誌情報とフィールドワーク:
 能海は、ラサを目指して、2年半かけて四川〜青海〜雲南省など、1万2千Kmを踏破しています。途次の観察情報を細かに記録し、地誌として、スケッチとともにまとめています。例えば、今は見ることができない三峡のスケッチ、四川、甘粛、青海省の地誌は、清朝末期の貴重な記録として、中国人研究者の研究対象となっています。フィールドワークの達人でありました。
(6)日本チベット学のパイオニア:
  能海は日本チベット学のパイオニアたる人物です。1900年、滞在中の四川省打箭爐で完成させた『般若心経西藏文直訳』は、日本初のサンスクリット学の成果となります。『西藏旅行記』(1904)で著名な河口慧海がチベットに向かったきっかけは、西洋チベット学の祖、チョーマ・ド・ケレスの業績を知ったことでした。能海はそのチョーマ・ド・ケレスを研究した、日本で最初の人物でありました。慧海のチベット学の業績は、主としてチベット探検後にあります。一方、能海は探検前からチベット研究の論文や著述が数多くあり、そのことは余り知られていません。能海は1901年4月、雲南省から発信した妻宛の手紙を最後に消息不明となりました。
 能海がチベットと奮闘した、一途かつ壮絶な生涯は、学問的業績はもちろん、人を引きつける魅力があります。

2 25年間の論文は、40本、総ページ数は500頁を超えました。扱った分野は、能海のチベット探検記録と現地調査、仏教論文・著作の解説、英語学習と著述の紹介、フランス人宣教師との接点の解明、外国人との交流(W.ウエストン、E.アーノルド、A.ダルマパーラ)などです。
 本書は、能海寛研究会機関誌『石峰』に書いた論文のアブストラクトを掲載して、筆者の研究の概要を知っていただきたいことが目的でした。あわせて、能海を知るための基本的情報、年表、探検地図、研究会の活動などを、参考資料として追記しています。編集後記は、研究のトピックス、研究者との交流、エピソードなど、25年間の「私的研究小史」です。
 研究成果
 (1)能海研究のみならず、関連分野も含めて、新事実を発見、解明を進めることができました。
 (2)能海の自著『世界に於ける佛教徒』(1896)の研究では、当時の世界の仏教家、宗教家の最新情報・著書を
     参照して書いたこと解明しました。
 (3)能海とダルマパーラの交流の事実を、スリランカで調査し、ダルマパーラの日記を発見し裏付けました。
 (4)A.D.ネールの日本来訪時(1917)の日記を入手し、はじめてその内容を紹介しました。
 (5)島根県と中国寧夏との交流史で、最初の人物が能海寛であることを裏付けました。
 (6)河口慧海がチベット行きを刺激されたのは、チョーマ・ド・ケレスの業績をS.ビールの著作の中で知ったことでした。このことを、はじめて明らかにしました。
 などが、ささやかな学問的な成果となりました。

3 研究を振り返って
 25年間の能海研究のおかげで、(1)研究の視野を拡大することができました。(国内、フランス、アイルランド、イギリス、スリランカ、中国など)、(2)海外(仏・中・愛蘭)の研究者と情報交換するなど交流ができました。(3)国内外の文献調査では、各国の図書館、研究機関と直接コンタクトして、研究情報を入手することができました。(4)高校時代の山岳部活動の経験が、能海研究の最初のきっかけでした。それが広がり、世界と繋がったように思っています。今は、
登山や周辺文化から、仏教そのものへと自分の関心も広がって来たように思います。この間経験したすべてに感謝したい気持ちです。
ISBN9798324944216 (pbk)
ヒット数150
作成日2024.06.13
更新日期2024.06.13



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