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On adhikarana-=アディカラナについて
著者 生野昌範 =Shono, Masanori
掲載誌 印度學佛教學研究 =Journal of Indian and Buddhist Studies=Indogaku Bukkyōgaku Kenkyū
巻号v.54 n.3 (總號=n.109)
出版年月日2006.03
ページ1167 - 1170
出版者日本印度学仏教学会
出版サイト http://www.jaibs.jp/
出版地東京, 日本 [Tokyo, Japan]
資料の種類期刊論文=Journal Article
言語英文=English
ノート四天王寺国際仏教大学における第五十六回学術大会紀要(3)
キーワードVinaya; adhikarana; apattadhikarana-; dispute
抄録ヴィナヤにはアディカラナと言われるものが規定されていて,しばしば「諍い」を意味すると理解されている.本論文ではパーリ文献に資料を限定し,アディカラナが「諍い」であるのかどうかを検討した.アディカラナには,vivadadhikarana-, anuvadadhikarana-, apattadhikarana-, kiccadhikarana-という4種類のものがあるが,その内のapattadhikarana-に焦点を絞って考察した.先ず,apattadhikarana-の定義では,5つや7つの罪のグループそのものがapattadhikarana-なのであって,罪のグループに関する「諍い」がapattadhikarana-なのではない.次に,apattadhikarana-に対する一つの鎮静方法では,犯した罪に関して「諍い」が起きていることを必須条件とするという記述は全く述べられていない.さらに,註釈はニッサギヤ・パーチッティヤ第一条に違反した場合にapattadhikarana-に対するその鎮静方法を行うように説明しているので,アディカラナがもし「諍い」であるとするならば,ニッサギヤ・パーチッティヤ第一条に違反した者は必ず諍いを起こしていることになってしまう.しかし,そのような記述は全く述べられていない.以上のように,apattadhikarana-の定義と鎮静方法を考察する限り,アディカラナが「諍い」を意味しているとは考えられない.次いで,アディカラナの語義を検討した.先ず,アディカラナはvatthu-で説明されているので,「論点・問題」の意であると考えられる.次に,註釈では「諸々の鎮静によって目掛けられる(管理される)べきことである」と述べられているので,「目掛けられること,管理されること」の意であると考えられる.さらに,文脈上アディカラナは,明らかに僧団組織全体に関わることである.従って,アディカラナはパーリにおいて「(僧団組織全体に関わる)論点・問題,目掛けられること・管理されること」の意である.
ISSN00194344 (P); 18840051 (E)
ヒット数454
作成日2006.11.02
更新日期2019.04.10



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