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雪竇重顯的「宗」「教」觀
著者 陳平坤
掲載誌 大專學生佛學論文集
巻号v.14
出版年月日2004.08
ページ216 - 255
出版者財團法人台北市華嚴蓮社
出版地臺北, 臺灣 [Taipei, Taiwan]
資料の種類專題研究論文=Research Paper
言語中文=Chinese
ノート本文之修訂稿,收錄於《佛門推敲——禪‧三論‧天台哲學論著集》,台北:文津出版社,2007年。
キーワード禪; 宗; 教; 空觀; 不可說; 雲門宗; 雪竇重顯
抄録 在分別解了禪門所說「宗」、「教」意指的問題意識下,本文根據《雪竇顯和尚頌古》、《明覺禪師語錄》為主的資料,針對號為「雲門中興」之一代禪師雪竇重顯的法語,通過歸納整理與分項闡義的步驟,探討了雪竇重顯禪師在「宗」行和「教」法兩大層面所要傳達的重要看法。
至於本文所獲致的初步結論,大體如下:
(一)就「宗」行而言,雪竇重顯認為悟入禪佛法(第一)義的道路,遍於一切事物之中,但重點落在強調學人必須善自體見,而不是四處想從他人身上去尋覓;同時更明確指出,經由言議、思維所得者,並非即是「禪」。
(二)就「教」法來說,透過禪師的教導,固然可給學人「一定啟發,然而所謂悟入」,最終還是決定於修學者所注入的心力程度。
(三)職是之故,在禪門教學領域,師、資雙方的各自條件,乃受到同等重視:在自行悟宗層面,弟子首須具備當下起行的精神;而在引導他人入道這方面,則貴在為師者確有「應病與藥」的能耐。
此外,在論述中,本文也嘗試透過分別「是」、「有」二詞所指向的不同問題意識,而把它運用在解析禪師的說法意涵上,希望藉此發揮一定的釐清功能,以幫助讀者更準確地理解禪師的思想旨趣。

目次一、前 言
二、禪門的宗義與教法
(一)「宗」內和「教」外
(二)「是非」與「有無」之辨
(三)「是」佛「非」佛在於能否善悟
三、禪修法門之指點
(一)學道者的基本精神
(二)「功夫心法」之所在
四、禪宗師資的「教」與「學」
(一)宗師的心境與手眼
(二)學人所需具備的條件
五、結 語
ヒット数390
作成日2007.03.06
更新日期2014.05.01



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