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内在的危機としての末法思想 - 道綽を中心にして=Belief in the period of the last and decadent dharma as an inherent crisis with special reference to Tao-Ch'o |
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著者 |
加藤弘孝 (著)=Kato, Hirotaka (au.)
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佛教大学学術委員会大学院紀要編集委員会
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掲載誌 |
佛教大學大學院紀要
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巻号 | n.36 |
出版年月日 | 2008.03 |
ページ | 1 - 14 |
出版者 | 佛教大學大學院 |
出版地 | 京都, 日本 [Kyoto, Japan] |
資料の種類 | 期刊論文=Journal Article |
言語 | 日文=Japanese |
キーワード | 外在的危機; 内在的危機; 末法思想; 『大集月蔵経』; 道綽 |
抄録 | 本論文では、危機の概念によって末法思想を考察する。危機の思想は外在的危機と内在的危機に分類でき、特定の宗教においては、前者から後者への移行が為された。浄土教では末法思想がこれに該当すると考えられる。すなわち『大集月蔵経』などの経典に説かれる外在的危機の思想は、中国の仏家によって、内在的危機の思想として深く掘り下げられたのである。本論では主に道綽を中心にこの過程を概観する。 |
目次 | はじめに 1 第一 道綽の思想的背景 3 第二 『安楽集』に見られる道綽の末法思想 5 第三末法思想における道綽の位置 7 ①外在的危機から内在的危機への移行 7 ②「特留此経止住百歳」の一文に対する諸師の解釈 8 おわりに 10 |
ISSN | 13442422 (P) |
ヒット数 | 471 |
作成日 | 2009.07.17 |
更新日期 | 2021.01.13 |
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