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梁武帝「皇帝菩薩」的理念及政策之形成基礎
著者 顏尚文
掲載誌 歷史學報
巻号n.17
出版年月日1989.06
ページ1 - 58
出版者國立台灣師範大學歷史學系
出版地臺北市, 臺灣 [Taipei shih, Taiwan]
資料の種類期刊論文=Journal Article
言語中文=Chinese
キーワード政教關係; 魏晉南北朝; 梁武帝; 皇帝菩薩; 建康教團; 菩薩戒法; 阿育王經; 涅槃經; 般若經
抄録自東晉偏安江南以來,王室因政權有賴於貴族支持,乃提高貴族所崇信之佛教僧侶的地位,造成往後的南朝政治,長久以來皆處在皇帝、貴族、沙門鼎足而三的形勢。本文即論述:南朝自梁武帝即位 (502) 後,有鑒於北朝胡人君主推行「皇帝即如來」之政策,有效主導統合社會各方勢力,乃如何有意識地意圖打破南朝政教分立的傳統,而制定一連串政教結合的政策。
作者指出:梁武帝在甫即位的天監年間(502-519) 便致力於塑造自己為「奉佛天子」:(一) 他選擇四月八日佛誕日作為登基典禮的日子; (二) 致力寺院的修築,贊助教團弘法; (三) 除自身研究佛教義理外,並禮聘教界教、禪、律、神異等各科高僧,在首都地區形成一個以君主中心的「建康教團」。這些作為,都反映梁武帝企圖嬴得僧侶的敬重,取得領導教團的地位,乃進而在天監十八年,提出「皇帝菩薩」的名號。
其次,作者論述:梁武帝「皇帝菩薩」理念是建立在深厚的佛教經,律的基礎之上. 為數眾多的「建康教團」成員致力從事 (1)佛典的重編,翻譯與注疏; (2) 編纂佛教類書,使佛教普及化; (3) 透過整理律藏,尤其是《在家出家受菩薩戒法》的制定,使教團及在家佛徒有所遵循; (4) 最後,翻譯《阿育王經》,以之作為佛教王國的典範,並立於高層義理的判教上,建立由《般若》至《涅槃》的因果關聯。這些政教結合的政策,使梁武帝在天監年間,打破了東晉以來「沙門不敬王者」的傳統格局,而令南朝君主獲得對佛教宣化和闡釋的領導權。
ISSN03019667
ヒット数157
作成日1998.07.22
更新日期2019.10.05



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