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唯識でよむ般若心経 -- 空の実踐
著者 横山紘一=Yokoyama, Koitsu
出版年月日2009.05
ページ415
出版者大法輪閣=Daihorin-Kaku
出版サイト http://www.daihorin-kaku.com/
出版地渋谷, 日本 [Tochigi, Japan]
資料の種類書籍=Book
言語日文=Japanese
ノートよこやまこういつ,1940年福岡県生まれ。立教大学名誉教授。主著に『唯識思想入門』『やさしい唯識』など。
抄録「一人一宇宙」という言葉が何度も出てくる。「人人唯識(にんにんゆいしき)」という唯識の教理から著者が作った言葉。誰もに共通の世界や宇宙などというものは存在しない。自分自身の阿頼耶識(あらやしき)(最も深層の根源的な心)の中から流れ出てきた、一人一人別々の世界や宇宙があるだけである。だからその世界や宇宙での出来事は、すべて自分の心の内に起こっている現象にしかすぎない。ところが、これを実体と考えて執着するところから、すべての苦しみが生まれる。唯識研究の第一人者だけあって、語られる言葉は平易だが、必ず唯識の専門的な議論にまで深められている。2年間にわたって興福寺においてなされた講義の記録である。何よりも類書の追随を許さぬ新鮮さは、般若心経の世界を最初から最後まで唯識の思想によって説いていること。唯識と般若心経は、同じ大乗仏教だが、考え方によっては全く違う思想である。般若心経はすべての徹底的な否定を説くのに対し、唯識は「ほかはすべて無いが、心だけはある」と説くのだから。しかし著者は、両者は結局同じだという。ここで詳しく述べることはできないが、「非有非無(有るのでもなく無いのでもない)」という中道により般若と唯識を結びつける。「一人一宇宙」の中が空っぽになることが空だという。このように本書は良質の哲学書としても読めるが、また「人生いかに生きるべきか」という日常的な実践の書でもある。苦しいときは「苦しいーっ、苦しいーっ」と大声でいってみなさいとか、名詞(モノの世界)の向こう側にとうとうと流れる命のエネルギーを直(じか)につかもうとか、具体的に語られる。そして究極的には、「自分の幸福などどうでもいい。生まれ変わり死に変わりしてでも、人びとのために生きるぞ」という菩薩(ぼさつ)の生き方を考えれば、死の恐さは薄らいでゆくという。強くて厳しいが、今の日本社会ではほかに見られぬほどあたたかい言葉なのである。
ISBN9784804612843
ヒット数794
作成日2010.08.18
更新日期2010.08.18



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