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座標軸としての仏教学 -- パーリ学僧と探す「わたしの仏教」
著者 勝本華蓮=Katsumoto, Karen
出版年月日2009.05.30
ページ319
出版者佼成出版社=The Kosei Publishing Company
出版サイト http://www.kosei-shuppan.co.jp/
出版地東京, 日本 [Tokyo, Japan]
資料の種類書籍=Book
言語日文=Japanese
ノート勝本華蓮〔カツモトカレン〕,1955年(昭和30年)、大阪府に生まれる。1991年に天台宗青蓮院門跡にて得度。佛教大学文学部仏教学科卒業、京都大学大学院文学研究科文献文化学専攻博士課程単位取得退学。博士(仏教学・花園大学)。専攻はインド仏教学、パーリ学。花園大学非常勤講師、叡山学院専任講師、スリランカ国立ケラニヤ大学パーリ学仏教学大学院客員研究員等を経て現在、東方学院講師、叡山学院非常勤講師、天台宗典編纂所編纂研究員を務める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
抄録本書は、パーリ仏典の最新研究成果も含む豊富な仏教情報を8つの視点(=座標軸)でコンパクトに整理した斬新な「仏教ガイド」である。副題は<著者と共に探す読者自身の「わたしの仏教」>という意味であるが、その意図は“現代日本において、釈尊の精神を生かしながら修行者として生きるのは、出家者(僧侶)になるのでも特定の宗教団体の在家信者になるのでもなく(i.e. 後戻り不可能な一歩前進ではなく)、人間としてまっとうで穏やかで幸せに生きられる道(i.e. 後戻り可能な半歩先)を踏み出そうとする人の修行道を模索してみたいと思います。”(p.5)ということである。
その半歩先とは“釈尊の教えに共感(=聞)したら、自分でよく考え(=思)てから、実践してみる(=修)という「聞・思・修」を大事にする”こと(p.304)から生まれる“多様な価値観をそのまま認め合い、主義主張にこだわるのをやめ、実効性のあることをやろう”(p.308)という意味である。このような著者の狙いは、カリフォルニアのリトリートに集まった約60人の芸術家に対して、“アメリカの仏教は、アメリカ人たちによって創造されるべきであることを強調し、芸術家たちに、未来の仏教のヴィジョンを描くことを依頼し”ティク・ナット・ハン師の「思い」と一致する。初詣が習慣化したのはそれほど古い時代ではなく明治時代中期のこととされている。同様に、現代人にとって実効性をもたらす「半歩先の仏教」が新しい習慣となるのは予想外に早く訪れるかも知れない。

目次
第1章 もとはといえば─覚りの仏教
第2章 うまずたゆまず─解脱への修行道
第3章 あいまいもこ─小乗と大乗の境界
第4章 よりどりみどり─大乗仏教の教義
第5章 めぐりめぐって─東南アジアの仏教
第6章 つまるところ─日本の仏教
第7章 なにはともあれ─日本仏教の変容
第8章 ひととおりでない─仏教の実践
ISBN9784333023806
ヒット数366
作成日2010.08.19



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