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所知障是無明或無知?:在東亞唯識學與印-藏中觀學之間(下)
著者 劉宇光 =Lau, Lawrence Y. K.
掲載誌 法鼓佛學學報=Dharma Drum Journal of Buddhist Studies
巻号n.9
出版年月日2011.12.01
ページ53 - 82
出版者法鼓佛教研修學院
出版サイト http://www.ddbc.edu.tw/zh/
出版地臺北縣, 臺灣 [Taipei hsien, Taiwan]
資料の種類期刊論文=Journal Article
言語中文=Chinese
ノート作者為上海復旦大學哲學學院副教授。
キーワード所知障; 無明; 無知; 不染無明; 不染無知
抄録本文是在與印-藏中觀學對比的視野下,探討東亞唯識學所知障(jñeyāvaraṇa)體性何屬的問題,這是筆者東亞唯識學所知障研究的完結篇。體性何屬是指:(a)所知障染、非染孰是?(b)若為污染,是哪一個意義下的污染,與無明和不染無知之間是什麼關係。(c)所知障體性與大、小乘佛教宗教願景的差別之間的關係。討論的線索是沿着相似但不相同的一對概念展開,即梵文的無明(avidyā)和無(ajñāna),並伸延及不染無明(akliṣṭaavidyā)和不染無知(akliṣṭa-ajñāna),乃至其藏文翻譯。正文由兩部份組成,本文為第二部份「印-藏中觀學的不染無明」。沿着中期印度中觀到藏傳教派中觀的脈絡,以印-藏中觀學「不染無明」和唯識學「不染無知」兩個梵文概念,及其各自的藏文譯詞為線索,探討東亞唯識學與印-藏中觀學對所知障體性染、非染孰是的不同判斷。但對比的重點只在辨别出兩者在所知障體性問題上的判斷分歧,並依此深化對唯識學所知障的理解。由四節組成:六、月稱《入中論》藏譯本及早期格魯派中觀師的態度,七、《宗義寶鬘》,八、印-藏中觀學的不染無明,九、第一世嘉木樣的疑惑。

目次印-藏中觀學的「不染無明」 55
六、月稱《入中論》藏譯本及早期格魯派中觀師的態度 55
七、《宗義寶鬘》 62
八、中觀學的「不染無明」 66
九、第一世嘉木樣的異議與疑惑 73
十、全文總結 77
ISSN19968000 (P)
ヒット数547
作成日2013.07.23
更新日期2021.01.11



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