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自我、無我與補特伽羅
著者 黃俊威 (著)=Wong, Chun-wai (au.) ; 諦觀雜誌社
掲載誌 諦觀
巻号n.58
出版年月日1989.07.25
ページ119 - 136
出版者諦觀雜誌社
出版サイト https://www.tt034.org.tw/
出版地臺北市, 臺灣 [Taipei shih, Taiwan]
資料の種類期刊論文=Journal Article
言語中文=Chinese
抄録本文共有三節. 第一節說明印度哲學中,各派對「自我」的定義. 諸如,奧義書以自我為遍在的知的主體,且是經驗與照察一切的主體,是不死且永遠不會變化的. 數論派以自我為純粹精神原理,稱為「神我」. 勝論派以自我為九種實體之一. 正理派更以歸謬法論證自我須存在. 耆那教則稱精神原理為命我,命我有上升性,當其抑制業的漏入,則可上升到世界的最高處,回復到最高的解脫主體. 第二節旨在探討佛教的「無我」觀念. 文中指出原始佛教的無我論基本上作為宗教意義的實踐命題,而不是作為一個存有意義的否定自我命題. 而無我論所以成輪迴主體問題最大困擾,是由於說一切有部否定了我的實體,使輪迴主體的存在與否成部派佛教所急需解決的問題. 第三節則深入檢討部派佛教的補特伽羅觀念的得失,並指出犢子部所提出的補特伽羅概念與耆那教的關係.
ヒット数526
作成日2013.07.26
更新日期2020.11.12



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