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説一切有部における与果と得=Phaladana and Prapti in Sarvastivada
著者 清水俊史 (著)=Shimizu, toshifumi (au.)
掲載誌 印度學佛教學研究 =Journal of Indian and Buddhist Studies=Indogaku Bukkyōgaku Kenkyū
巻号v.62 n.3 (總號=n.133)
出版年月日2014.03
ページ1199 - 1205
出版者日本印度学仏教学会
出版サイト http://www.jaibs.jp/
出版地東京, 日本 [Tokyo, Japan]
資料の種類期刊論文=Journal Article
言語英文=English; 日文=Japanese
キーワードkarman; phala; phaladana; prapti
抄録本稿は,有部における業と与果との関係について考察する."如何にして過去に落謝した業が未来に果を招くことが出来るのか"という疑問に関する説一切有部の理解について,「与果・取果の教理のみによって説明され,間に何ら媒介者を必要としない」という説が現在の学界において定説とされている.すなわち,業が完成されたその瞬間に,その業が未来にどのような果を引くか予約され(取果),この業は過去に落謝していても予約された果(異熟)を与える能力があるとされる(与果).ところが上流不還の事例を検討すると得されている業と,得されていない業との両者があった場合,得されている業が優先的に異熟を結ぶと説かれており,得が与果に影響を与える用例が認められている.従って業と果との関係は次のように結論付けられる.1.業と果の関係は三世実有説によって説明される.業は過去に落謝しても実有であるから,未来に果を結ぶことができる.2.しかし,得されている業と,得されていない業との両方があった場合,得されている業が優先的に与果する事例が説かれている.3.ただし,順後次受業の定業は,たとえ得されていなくても与果する事例が認められている.したがって,業の力が強力であれば,必ずしも得されていなくても異熟を生み出すことが可能である.
ISSN00194344 (P); 18840051 (E)
ヒット数201
作成日2015.09.09
更新日期2019.05.23



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