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会昌寺会賾と唐代初期の五台山信仰=On Huize of Huichang si and Wutaishan Worship in Early Tang
著者 伊藤真 (著)=Ito, Makoto (au.)
掲載誌 印度學佛教學研究 =Journal of Indian and Buddhist Studies=Indogaku Bukkyōgaku Kenkyū
巻号v.63 n.3 (總號=n.136)
出版年月日2015.03
ページ1141 - 1147
出版者日本印度学仏教学会
出版サイト http://www.jaibs.jp/
出版地東京, 日本 [Tokyo, Japan]
資料の種類期刊論文=Journal Article
言語英文=English
キーワードHuayan jing zhuanji; 華厳経伝記; Gu qingliang zhuan; 古清涼伝; 会賾; Mount Wutai; Wutaishan; 五台山; Fazang; 法蔵; Huize; Huiyi; 会頤
抄録法蔵の『華厳経伝記』には五台山に関する記述が数多く見られ,吉津宜英氏は同伝執筆の一つの「意図」になっていると指摘している.しかしみずからの教学とも師弟関係の上でもほとんど関連のない五台山をなぜ法蔵はそれほど強調したのか? 吉津氏は『華厳経伝記』の主たる特徴として,『華厳経』研究講説の専業とその祥瑞,そして則天武后への称賛をはじめ武后政権を意識した「公(おおやけ)」の性格などを指摘した.これらと法蔵の五台山への着目はどう関連しているのだろうか? 本論では唐代の五台山信仰隆盛の先鞭をつけたと評される会昌寺会〓(7世紀後半.会〓とも)による五台山踏査を手掛かりに,法蔵の意図を考えてみたい.会〓と極めて時代の近い資料である道宣『集神州三宝感通録』,慧祥『古清涼伝』では,会〓は複数回の「勅令」によって五台山へ赴いたとするが,王俊中氏はそれらが時の皇帝・高宗ではなく則天武后の意図によるものだと推察している.とすれば,吉津氏が指摘する『華厳経伝記』の「公」の性格からして,法蔵は武后の意図・関心を意識して同伝に五台山の事例を数多く取り上げたと考えられるのではないだろうか.法蔵は『華厳経伝記』に『三宝感通録』や『古清涼伝』には語られない会〓(会〓)による三度目の五台山行きを記し,初唐の五台山の名僧・解脱禅師が「後代我が名を顕彰する大人が現れる」との臨終の際に残した予言を成就するものだったと述べている.これは会〓を派遣した武后への賛辞でもあると言えるのではないだろうか.
ISSN00194344 (P); 18840051 (E)
ヒット数335
作成日2015.10.01
更新日期2019.05.29



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