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「釈善信」考 : 蓮光寺旧蔵本『血脈文集』の「親鸞自筆文書」をめぐって=Examining Shaku Zenshin : An Evaluation of the Shinran Shonin ketsumyaku monju (SSKM)
著者 ナガタニ弘信 (著)=Nagatani, Hironobu (au.)
掲載誌 宗教研究=Journal of Religious Studies=シュウキョウ ケンキュウ
巻号v.87 n.1 (總號=n.376)
出版年月日2013.06.30
ページ27 - 53
出版者日本宗教学会
出版サイト http://jpars.org/
出版地東京, 日本 [Tokyo, Japan]
資料の種類期刊論文=Journal Article
言語日文=Japanese
キーワード親鸞; 『血脈文集』; 蓮光寺本; 釈善信; 古田武彦
抄録蓮光寺旧蔵本『親鸞聖人血脈文集』(現大谷大学図書館蔵)には、法然が親鸞に模写を許した自らの真影に元久二年(一二○五)に「銘文」とともに記した「名の字」とされる「釈善信」の記述がある。これが法然の記名を忠実に伝えているとすれば、親鸞が同年「綽空」から「善信」と改名したことを示す決定的証拠となる。古田武彦は『親鸞思想-その史料批判』(一九七五年)においてこの記述を、親鸞が建保四年(一二一六)に性信に与え、性信が『血脈文集』を編集した際に自らが親鸞面授の直弟であることの証拠として収めた「自筆文書」の一節である、と述べた。しかし、蓮光寺本の乱丁、当該文書の文面、『血脈文集』の構成を検討した結果、筆者は、この所謂「自筆文書」は、性信没後に『血脈文集』が編集された際に挿入された偽作に過ぎないとの結論に至った。筆者は、元久二年に法然が記した「名の字」は「釈善信」ではなく「釈親鸞」であると考えざるを得ない。

In SSKM, which was owned by Renkoji, there is a notation by Shaku Zenshin, together with the inscription of Honen's portrait, which Honen allowed Shinran to copy. If this notation is correct, it might be decisive evidence that Shinran changed his name from Shakku to Zenshin in 1205 (Genkyu 2). Furuta Takehiko asserts in his book Shinran's Thought: Critique of Historical Materials (1975), that the notation by Zenshin was a part of the handwritten document by Shinran, which had been given to Shoshin from Shinran himself in 1216 (Kenpo 4), and Shoshin inserted the document into SSKM in order to demonstrate that he was an authentic disciple of Shinran. In this paper, I verify that the document was not Shinran's own handwriting alone, nor Shoshin's autograph, from three viewpoints: the confusion of the order of SSKM, the historical investigation of languages in the document, and from the perspective whether SSKM fulfills the requirements as ketsumyaku monju (manifestation of authentic tradition of dharma). In conclusion, I have no choice but to affirm that the document was inserted into SSKM after the death of Shoshin. I reconfirmed my coherent assertion that the renaming of Shinran occurred in 1205.
目次[Table of Contents]

はじめに 27

一、蓮光寺本の「乱丁」について 30
二、「建保四年文書」の信憑性について 38
三、『血脈文集』の成立について 45

おわりに 48
註 50
ISSN03873293 (P)
ヒット数552
作成日2016.05.09
更新日期2019.08.26



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