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在家信者に対する戒律講義-霊芝元照「為判府蒋枢密開講要義」を中心として-=針對在家信徒的戒律講義 ── 以靈芝元照〈為判府蔣樞密開講要義〉為中心=Lingzhi Yuanzhao’s Lecture on Precepts for Laypeople
著者 山本元隆 =Yamamoto, Genryu
掲載誌 佛光學報=Fo Guang Journal of Buddhist Studies
巻号n.1 新3卷
出版年月日2017.01
ページ107 - 141
出版者佛光大學佛教研究中心
出版サイト https://cbs.fgu.edu.tw/
出版地宜蘭縣, 臺灣 [I-lan hsien, Taiwan]
資料の種類期刊論文=Journal Article
言語日文=Japanese
ノート作者為曹洞宗綜合研究中心講師
キーワード霊芝元照=靈芝元照=Lingzhi Yuanzhao; 蒋之奇=蔣之奇=Jiang Zhiqi; 『芝園遺編』=《芝園遺編》=Zhiyuan yibian; 在家持戒=precepts for laypeople; 戒体=戒體=precept substance; 即心是戒=the mind is precept
抄録 仏教の戒律は社会に対していかなる有用性を持っているのか。本論文はその一事例として、在家信者に対してなされた中国北宋期の霊芝元照による戒律講義を中心とし、彼の戒律実践論の特徴を論じる。伝統的な戒律の実践項目は、出家と在家それぞれに歴然たる区別が存在するが、元照が期す戒律の修証は、出家と在家という枠にとどまるものではない。仏教の本旨は「凡そ心ある者、皆な当に仏と作すべし」という教説にあるからこそ、菩提の成就はすべての人々に保証され、その達成の機縁は行住坐臥すべての日常生活に溢れていると元照は講じる。また、講義録には、菩提を得るうえで戒律の実践は不要であると説く一部の禅宗教団に対する批判的言及も見られ、元照は修と証は一如であり、その両者の密接な関連性を特に強調する。在家社会を対象にした元照の戒律講義を通して、仏教の普遍性と戒律の有用性をひろく社会に敷衍させようとする彼の宗教的信念の一端を見ることができよう。

佛教的戒律對於社會有怎樣的用處呢?本論文作為其中的一事例,以中國北宋期的靈芝元照針對在家信徒的戒律講義為中心,來討論他的戒律實踐論。傳統的戒律實踐項目,出家和在家存在著明顯的區別。但元照期望的戒律修證是不要局限於出家和在家這個框架下的。佛教的本意是「凡有心者,皆當作佛」,就是因為有這個說法,所以元照講到菩提的成就在於保證所有的人,那達成的機緣充分體現在日常生活中的行住坐臥。另外,講義錄中針對一部分的禪宗教團對於成佛不需要戒律的實踐的這個說法進行了批判,元照特別強調修和證是一體的,這兩者有著密切的關係。通過元照以在家社會為對象的戒律講義,可以看出他宗教信念之一面,亦即想要對社會廣泛地詳述佛教的普遍性和戒律的有用性。

Are the Buddhist precepts of any use for society at large? In this paper I offer a response to this question by considering Lingzhi Yuanzhao’s theory of precepts for laypeople, focusing on a lecture he gave to laypeople during the Song dynasty. Though he makes a clear distinction between practices for monks and those for laypeople according to the traditional precepts, he does not limit himself to the framework of “layperson versus monk.” Because Buddhist doctrine asserts that “all people can become a Buddha,” Yuanzhao argues that there are opportunities to achieve enlightenment in all aspects of daily life. In the transcript of the lecture one can also see his criticism of Chan groups who argued that the precepts were no longer necessary after enlightenment; Yuanzhao emphasized the close relationship between practice and enlightenment, seeing them as one and the same. This lecture, given to a secular audience, shows Yuanzhao’s religious conviction as he sought to show Buddhism’s universality and to extend its utility to society at large.
目次一、はじめに 110
二、元照の戒律修証観 113
〔 1 〕『芝園遺編』巻 3「為判府蒋枢密開講要義」、CBETA, X59, no. 1104, p.642, a11-21。 113
〔 2 〕『芝園遺編』巻 3「為判府蒋枢密開講要義」,CBETA, X59, no. 1104, p.642, b3-11。 117
三、元照の期す持戒の実践について 121
〔 3 〕『芝園遺編』巻 3「為判府蒋枢密開講要義」、CBETA, X59, no. 1104, p.643, a6-14。 122
〔 4 〕『芝園遺編』巻 3「為判府蒋枢密開講要義」、CBETA, X59, no. 1104, p.643, a19-b10。 124
四、「即心是戒」という語に対する元照の批判的言及 128
〔 5 〕『芝園遺編』巻 3「為判府蒋枢密開講要義」、CBETA, X59, no. 1104, p.643, b11-16。 128
〔 6 〕『 芝園遺編 』巻 2「 授大乗菩薩戒儀 」、CBETA, X59, no. 1104, p.631, b22-c8。 132
〔 7 〕『芝園遺編』巻 3「為義天僧統開講要義」、CBETA, X59, no. 1104, p.645, a1-8。 135
五、むすびにかえて 137
ISSN24143006 (P)
ヒット数161
作成日2020.04.08
更新日期2020.04.08



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