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『維摩経』と在家仏教=《維摩詰經》與在家佛教=The Vimalakīrtinirdeśa and Lay Buddhism
著者 西野翠 (著)=Nishino, Midori (au.)
掲載誌 佛光學報=Fo Guang Journal of Buddhist Studies
巻号n.2 新4卷
出版年月日2018.07
ページ247 - 299
出版者佛光大學佛教研究中心
出版サイト https://cbs.fgu.edu.tw/
出版地宜蘭縣, 臺灣 [I-lan hsien, Taiwan]
資料の種類期刊論文=Journal Article
言語日文=Japanese
ノート作者為大正大學綜合佛教研究所研究員
キーワード『維摩経』=《維摩詰經》=Vimalakīrtinirdeśa; 出家=renunciation (pravrajyā); 在家仏教=在家佛教=lay Buddhism; 不二=non-duality (advaya); 菩提心=thought of enlightenment (bodhicitta); 維摩系諸経典=維摩系諸經典=Vimalakīrti group of sūtras
抄録 『維摩経』(The Vimalakīrtinirdeśa)は「在家仏教の主張を明示する」経典という見方が一般的であり、『維摩経』は在家仏教運動の所産であり、維摩は在家仏教のリーダーあるとの見方が問題なく受け入れられている。しかし、かつては『維摩経』の「居士仏教としての聖道面」が強調されていたこともある。たしかに維摩は俗世間に身を置き、在家の姿をとって衆生済度に奔走している。だが、それは維摩の仮の姿(善巧方便)で、実際には阿閦如来の妙喜世界から来生している大菩薩である。
『維摩経』は、般若空慧による無所得平等の中道観から「成就衆生・浄仏国土」という大乗的課題を明らかにしており、維摩は中道の理に住し、衆生界の塵埃の中にあっても清浄である。本稿では、『維摩経』が出家に対してどのような考えを示しているかという点に着目し、『維摩経』における在家と出家の問題を考え、そのうえで、『維摩経』は在家仏教運動の所産とみる見方が果たして妥当かどうかを検討してみたい。

一般認為《維摩詰經》(The Vimalakīrtinirdeśa)是一部「強調在家佛教」的經典,同時認為《維摩詰經》是在家佛教運動的產物、維摩是在家佛教的領袖,這些觀點並不視為存在問題,而被人們普遍所接受。但是,也有一種觀點曾強調《維摩詰經》是「作為居士佛教的聖道面」之經典。確實維摩生活在世俗的人間世界,以在家人的姿態全力拯救普通百姓。然而這一切皆是維摩臨時性的身份(善巧方便),事實上他是來自阿閦如來妙喜世界的大菩薩。
《維摩詰經》是從般若空性智慧無所得平等的中道立場,闡明「成就眾生、淨佛國土」的大乘課題。維摩本人安住於中道的理論,認為縱然住於屬於眾生的混塵世界也是清淨的。本文聚焦於《維摩詰經》針對出家眾的看法、對於在家與出家課題的看法,在此基礎上,試圖檢討認為《維摩詰經》是在家佛教運動的產物之看法是否真的合理。

It is commonly understood that the Vimalakīrtinirdeśa is a sūtra which clearly advocates lay Buddhism. It is generally accepted without question that the Vimalakīrtinirdeśa is the outcome of a lay Buddhist movement, and Vimalakīrti is a lay Buddhist leader. At the same time, the Vimalakīrtinirdeśa's aspect of ultimate realization for lay Buddhists has also been emphasized. It is true that Vimalakīrti lives in the world with the identity of a layman, making every effort to rescue ordinary people. However, it is said that this is his expedient identity, and in reality he is a great bodhisattva who came from the Abhirati universe of tathāgata Akṣobhya.
The Vimalakīrtinirdeśa lays out the main issues of Mahāyāna Buddhism: maturing people and purifying the buddha-field through the middle way of absolute equality based on the perfection of wisdom. Vimalakīrti dwells in the theory of the middle way, and is pure even though he is in the midst of defilements of the world. This paper first explores the issue of lay people and renunciants by considering the Vimalakīrtinirdeśa's ideas about renunciation. Then it raises the question of whether it is proper to think of the Vimalakīrtinirdeśa as the outcome of a lay Buddhist movement.
目次問題の所在 252
1.『維摩経』における出家 257
1-1 維摩が説く真の出家 259
1-2 維摩が勧める出家 ― 菩提心を発すこと 264
2.『維摩経』における発菩提心 268
2-1 発菩提心とは衆生済度の願い 271
2-2 「家」とは何か? 273
3. 出家在家を問わない維摩系諸経典 277
おわりに 280
引用書目 285
Appendix I: 『維摩経』以前の出家と在家 290
Appendix II: 出家の功徳 (III-39) 297
ISSN24143006 (P)
ヒット数662
作成日2020.04.13
更新日期2020.04.13



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