サイトマップ本館について諮問委員会お問い合わせ資料提供著作権について当サイトの内容を引用するホームページへ        

書目仏学著者データベース当サイト内
検索システム全文コレクションデジタル仏経言語レッスンリンク
 


加えサービス
書誌管理
書き出し
惠能與王陽明本心思想的實踐進路與詮釋方法之論析
著者 黃連忠
掲載誌 第三屆中國文哲之當代詮釋學術研討會會前論文集
出版年月日2007.10
ページ287 - 306
出版者國立臺北大學中國語文學系
出版サイト http://www.cl.ntpu.edu.tw/
出版地臺北, 臺灣 [Taipei, Taiwan]
資料の種類會議論文=Proceeding Article
言語中文=Chinese
ノート作者單位:高苑科技大學
キーワード惠能; 王陽明; 本心; 禪學; 宋明理學
抄録在現存不同版本的《六祖壇經》中,惠能強調「識自本心,即是解脫」與「識自本心,是見本性」,主要是將「識心」、「見性」與「解脫」三者融會成一個「本心」的思想,著眼在「識」字。相對的王陽明在《傳習錄》等相關著作中,提到「致其本心之良知」,是以「推極」、「發明」與「良知」而形成其心學的體系。
同時,明末學者劉宗周稱王陽明的心學為「陽明禪」,李贄也認為王陽明的心學與禪佛教思想互通而無礙,明末清初黃宗羲更是批判陽明後學王畿為「躋陽明而為禪」,同時王陽明在《傳習錄》中時常以禪宗的公案對話模式來作為他說明心學的例證。然而,在晚明清初的程朱學者卻以「狂禪」來批判陽明的後學,因此本文論述的動機即在辨析惠能與王陽明在本心思想上「毫釐之間」的異同,並且試以討論兩者在「工夫即是本體」的實踐進路上,是否存在著根本的差異,從心性論的立場分析兩者在本體描述上是否具有共法的互通與不共法的分別。
此外,王陽明的心學被視為宋明理學的高峰而深具後世的影響力,惠能在禪宗的「師師密付本心」的禪法傳授上,是否在本體思想、理論境界與工夫進路方面與陽明心學存在著某些關聯?本文也試圖討論近代學者對兩者思想詮釋立場與批評方法之得失,藉以廓清離斷惠能的禪學與陽明的心學在本質與詮釋方面之葛藤,揭顯惠能與陽明在本心思想上的哲學底蘊與學術價值。
目次一、前言 288
二、惠能與王陽明本心思想的形成與結構 289
(一)何謂「本心」? 289
(二)敦博本與宗寶本壇經中本心思想的比較 289
(三)陸象山到王陽明本心思想的形成與轉折 293
三、惠能與王陽明本心思想的實踐歷程與詮釋系統 297
(一)還得本心與致其本心之良知的體用一如 297
(二)惠能與王陽明體證本心的工夫次第與實踐歷程 299
(三)本體境界工夫三合一的詮釋系統 303
四、結論 305
ヒット数579
作成日2020.11.16
更新日期2020.11.16



Chrome, Firefox, Safari(Mac)での検索をお勧めします。IEではこの検索システムを表示できません。

注意:

この先は にアクセスすることになります。このデータベースが提供する全文が有料の場合は、表示することができませんのでご了承ください。

修正のご指摘

下のフォームで修正していただきます。正しい情報を入れた後、下の送信ボタンを押してください。
(管理人がご意見にすぐ対応させていただきます。)

シリアル番号
599729

検索履歴
フィールドコードに関するご説明
検索条件ブラウズ