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禅における社会との関わりの理念=The ideal of interacting with society in Rinzai Zen
著者 吉田叡禮 (著)=Yoshida, Eirei (au.)
掲載誌 日本仏教学会年報=ニホン ブッキョウ ガッカイ ネンポウ
巻号n.80
出版年月日2015.08.30
ページ1 - 10
出版者日本佛教學會=Nihon Buddhist Research Association
出版サイト http://nbra.jp/
出版地京都, 日本 [Kyoto, Japan]
資料の種類期刊論文=Journal Article
言語日文=Japanese
ノート仏教における実践を問う(1)社会的実践の理念
キーワード日常底; 孤峯絶頂と十字街頭; 仏作仏行
抄録本発表は、禅が社会と関わる際にその裏づけとなる理念について、考察するものである。社会福祉的活動を自ら行った禅僧は、歷史上にあまり実例を見ない。山林や僧林内でひたすら修禅に励むか、さもなければ寺内で学問に専念するイメージの強い禅僧には、社会との関わりを拒む要素が根本的に存するかのようにさえ眼に映る。それでは、「利他」・「衆生済度」といった理念は禅と無縁なのだろうか。現代において災害復興支援などに積極的に邁進する禅宗所属の僧侶たちの行為は、いったい禅的ではないということになるのだろうか。当発表の問題意識の所在は実はこの点にある。そこで、ここでは議論の範囲を「現代日本の臨済禅」に焦点を絞って考察したい。現在の臨済禅は、唐代において「即心即仏」・「平常心是道」を唱え、大機大用とうたわれた洪州(江西省)の馬祖道一(709-788)にまで遡ることができる。馬祖は多くの弟子を育て、「十字街頭」において人々を接化した。これに対し、後に曹洞禅の系譜につながるとされる南岳衡山(湖南省)の石頭希遷(700-790)は、俗塵を離れた「孤峯頂上」に坐して修禅に専念した。この2人は当時「ニ甘露門」と称されたといわれる。臨済禅の公案大系において、「孤峯絶頂」と「十字街頭」は、馬祖と石頭という2人の禅者の生き方や、臨済曹洞二宗の禅風の相違を指すよりは、一個人の生き方の中にも同時に存する両側面であると捉える。静と動、あるいは不易(不変)と流行(随縁)のパラレルにも置き換えられる。ところで、臨済禅の公案修行は、一般的に宋代の無門慧開が編纂した『無門関』第一則「趙州無字の公案」か、白隠創意の「隻手音声」の公案から始まる。「趙州無字」について言えば、これは公案自体と(あるいは見聞覚知するもの全てと)一つになること(心一境性)を目差すための手段として用いられ、無門慧開はこれに頌して「歴代祖師と手を把って共に行く」と註している。また、宋代の廓庵『十牛図』は禅の修行階梯を 10 段階で示したものであるが、その第十は「入鄽垂手為人度生」であり、市井に在って泥塗れになりつつ人々と苦楽を共にする姿(灰頭土面)とされる。すなわち、禅修行は「祖師と共に」に始まり、「衆生と共に」を至上とすると解することができよう。つまり、禅は決して衆生済度を拒むものではなく、むしろその逆であるが、禅堂に坐すも、外へ出て福祉活動を行うも、すべての行為が自我を無くした「仏作仏行」となることが肝要で、衆生済度もことさらに作為を用いれば分別・執著となるとする。四弘誓願文に「衆生無辺誓願度」と言う如く、果てし無く到達目標の見えないことであっても、「雪を担って古井を埋める」の語のように、分別を挿まず環境を受け容れ、愚直に淡淡と目前のことを行じるを善しとする。
ISSN09103287 (P)
ヒット数95
作成日2021.07.29



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