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湛然における無情仏性説と仏教生命観の再考=Zhanran’s Doctrine of “the Buddha-nature of Insentient Beings” and a Reconsideration of the Buddhist View of Life
著者 唐秀連 (著)=とうしゅうれん (au.)
掲載誌 印度學佛教學研究 =Journal of Indian and Buddhist Studies=Indogaku Bukkyōgaku Kenkyū
巻号v.65 n.2 (總號=n.141)
出版年月日2017.03.20
ページ960 - 956
出版者日本印度学仏教学会
出版サイト http://www.jaibs.jp/
出版地東京, 日本 [Tokyo, Japan]
資料の種類期刊論文=Journal Article
言語日文=Japanese
ノート香港中文大学講師,博士
キーワード湛然; 無情仏性; 仏性; 天台宗
抄録Jingxi Zhanran 荊渓湛然, the ninth patriarch of the Tiantai School, is well-known for advocating the doctrine of “the Buddha-nature of insentient beings.” By raising the question about the Buddhist view of life, this paper examines Zhanran’s criticism of the notion that Buddhahood has a substantial nature which only sentient beings can embrace. On the basis of his critique of illusory thoughts in relation to the substance of Buddha-nature, Zhanran articulates that not only sentient beings but also insentient ones have Buddha-nature.
目次1.はじめに 960
2.「無情仏性」と仏性の無限性 960
2.1. 仏性は衆生の体内に限られるという錯覚 960
2.2. 「有情」には実際に仏性があるという錯覚 959
2.3. 「有情」と「無情」がはっきり二分できるという錯覚 959
2.4. 色心が分けられるという錯覚 958
3.湛然は「生命」をどう評価しているか 957
ISSN00194344 (P); 18840051 (E)
DOI10.4259/ibk.65.2_960
ヒット数624
作成日2022.05.17



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