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Bhāviveka on Non-conceptual Cognitions: A Study of The Madhyamakahṛdaya Chapter 3 Verses 7 to 13, and 265=清弁の無分別知:『中観心論』第3章第7–13, 265偈の研究
著者 Nishiyama Ryo (著)=西山亮 (au.)
掲載誌 印度學佛教學研究 =Journal of Indian and Buddhist Studies=Indogaku Bukkyōgaku Kenkyū
巻号v.67 n.3 (總號=n.148)
出版年月日2019.03.25
ページ1112 - 1117
出版者日本印度学仏教学会
出版サイト http://www.jaibs.jp/
出版地東京, 日本 [Tokyo, Japan]
資料の種類期刊論文=Journal Article
言語英文=English
キーワードnirvikalpa; saṃvṛti; paramārtha; Bhāviveka
抄録清弁(Bhāviveka, 6c)が彼の二諦説のなかに二義的な勝義を設けていることは,夙に指摘され,彼の思想の特徴とされてきた.『般若灯論(Prajñāpradīpa)』においてその二義的な勝義の一つとして無分別智(nirvikalpajñāna)が挙げられ,それは一義的な勝義である真実(tattva)を対象とする智である.筆者が着目したいのは,『思択炎(Tarkajvālā)』において清弁が,この真実を対象とする無分別智とは別の無分別知に言及していることである.『中観心論(Madhyamakahṛdaya)』第3章冒頭部において清弁は,智慧(prajñā)を二諦に即して二種に分け,勝義的な智慧と慣習的な知恵とを区別する.勝義的な智慧は真実を対象とする智すなわち無分別智であるが,一方で,慣習的な知恵の働きとして相(lakṣaṇa)の決択を置く.後者は『思択炎』において,自相(svalakṣaṇa)を対象とする無分別知であり,つまりは直接知覚(pratyakṣa)のことである.「分別を介在させない」という意味では,勝義的な無分別智も慣習的な無分別知も同じ働きを持つと言えるが,果たす役割が相違することに注意が向けられるべきであろう.本研究は,清弁の言及する二つの無分別知が,その背景となる二諦説の中でそれぞれどのような役割を担うのかを解明する試みである.
目次1. Two Wisdoms 1112
2. Ultimate Wisdom 1112
3. Conventional Wisdom 1113
3.1. Conventional Non-conceptual Cognition 1113
3.2. Development of Epistemology 1114
4. Beyond Non-conceptual Cognition 1115
ISSN00194344 (P); 18840051 (E)
DOIhttps://doi.org/10.4259/ibk.67.3_1112
ヒット数275
作成日2022.09.20
更新日期2022.09.20



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