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明恵の修道観=Myōe’s Views on the Path of Practice
著者 米澤実江子 (著)=Yonezawa, Mieko (au.)
掲載誌 印度學佛教學研究 =Journal of Indian and Buddhist Studies=Indogaku Bukkyōgaku Kenkyū
巻号v.68 n.1 (總號=n.149)
出版年月日2019.12.20
ページ156 - 161
出版者日本印度学仏教学会
出版サイト http://www.jaibs.jp/
出版地東京, 日本 [Tokyo, Japan]
資料の種類期刊論文=Journal Article
言語日文=Japanese
キーワード明恵; 『光顕鈔』; 修道観; 一断一切断; 一成一切成; 自類相対; 自他相対
抄録Myōe (明恵, 1173–1232) wrote his Konjishishō-kokenshō 金師子章光顕鈔 (hereafter Kokenshō) in Shogen 4 (1210), based on his interpretation of Fazang’s (法蔵, 643–712) Huayan-jinshizi zhang 華厳金師子章. In the Kokenshō, Myōe criticizes “a certain man” for “his” remark about the Cessation of Defilements and Enlightenment: “When one accomplishes both the Cessation of Defilements and Enlightenment, the others can also do that.” In a previous study on Myōe, however, Shimaji Daitō 島地大等 states that Myōe’s commentary on the Cessation of Defilements is consistent with “his.” Therefore, I consider Myōe’s views on the Practice of the Path with a focus on his interpretation of the Cessation of Defilements and Enlightenment in the Kokenshō.
目次一 はじめに 156
二 「有人の義」について 156
三 「明恵の批判」について 157
四 「自類相対」と「自他相対」について、 158
五 「性起品」について 159
六 「三生成仏」について 159
小結 160
ISSN00194344 (P); 18840051 (E)
DOIhttps://doi.org/10.4259/ibk.68.1_156
ヒット数320
作成日2022.09.22
更新日期2022.09.22



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