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興教大師覚鑁の成仏論(1):現生・生身の成仏=A Study on the Kakuvan's thoughts of attaining to be buddha -part 1- : On the thought of attaining to be buddha in this existence and whith this physical body
著者 苫米地誠一 (著)
掲載誌 智山学報=Journal of Chizan Studies=智山學報
巻号v.41
出版年月日1992.03.31
ページ73 - 90
出版者智山勧學會
出版サイト https://www.chisankangakukai.com/
出版地東京, 日本 [Tokyo, Japan]
資料の種類期刊論文=Journal Article
言語日文=Japanese
抄録興教大師覚鑁の成仏思想に就ては、これまで殆ど何の論証も無しに速疾・現生成仏説として捉えられている様である。而し覚鑁以前に、弘法大師空海の『即身成仏義』に於る〈即身成仏〉思想、異本『即身成仏義』諸本の三種即身成仏説、伝教大師最澄の『法華秀句』に見られる〈即身成仏(大直道)〉説と、それから展開した日本天台宗の〈円教の即身成仏〉思想等が在る。そこで覚鑁の著作を検討してみると、速疾成仏説ではあるが、その中で現生の生身の成仏を主張しており、又その成仏の果を三身即一の妙覚仏としている。この即身の意味に於て現生、特に生身を問題とするのは天台宗の〈円教の即身成仏〉思想の特徴と考えられるものであり、三身即一の妙覚仏というのも天台宗の仏身論に拠るもので、即ち覚鑁に於る天台(台密を含むか)教学からの影響を認める事ができる。
目次〔論文要旨〕73
一、 はじめに 73
二、 現生成仏説 74
三、 生身の成仏 79
五、 おわりに 84
註 85
ISSN02865661 (P)
DOIhttps://doi.org/10.18963/chisangakuho.41.0_73
ヒット数62
作成日2023.04.07
更新日期2023.04.10



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