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構築された仏教思想:親鸞 救済原理としての絶対他力 |
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著者 |
釈徹宗 (著)=Shaku, Tesshu (au.)
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出版年月日 | 2010.09.20 |
ページ | 136 |
出版者 | 佼成出版社 |
出版サイト |
https://kosei-shuppan.co.jp/
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出版地 | 東京, 日本 [Tokyo, Japan] |
シリーズ | 構築された仏教思想 |
シリーズナンバー | 2 |
資料の種類 | 書籍=Book |
言語 | 日文=Japanese |
ノート | 参考文献: p132-134 請求記号: 188.5281-Sh69 仏教図書共通分類表: 188.5281 |
キーワード | 親鸞(1173~1262); 僧侶 |
抄録 | 釈尊以来の「私が仏になる」という仏教の教えを、「仏が私を救う」へと大きく転換させた法然。 親鸞は、師法然の他力思想に帰依しながらも、自らの罪業を凝視して「私だけは救われまい…」と絶望する。 「救いと絶望の同居」という矛盾を抱え続けた親鸞の多数の著作から、その思想の核心と人物像の魅力を読み解く。気鋭の比較宗教学研究者であり浄土真宗の僧侶でもある著者による、中級向けの親鸞思想解説書。
『不干斎ハビアン――神も仏も棄てた宗教者』(新潮選書)など話題本の執筆者による一冊。 『歎異抄』だけでなく、親鸞聖人が著された多くの著作に言及しながらその思想を多角的に論じている。 一気に読み通せる薄手の136ページ。
もはや、近代が行き詰まり、ポストモダン言説もすでに消費され切ってしまった。現代人の宗教性や宗教心の傾向は、「無地域化」「道具化」「個人化」などの特徴が顕著となってきている。このような状況において、我々は親鸞から何を学べるのか。
教えに出会った「喜び」とあまりにも深い「悲しみ」、仏の救いとその救いから逃れようとする自分、光と影…。そうした矛盾を合理化せず、二項対立のままにもおかず、「緊張関係」を抱え続けた親鸞の、希有な人物像を紹介する。 |
目次 | まえがき
第一章 浄土仏教とは何か 1 念仏という宗教的実践 2 大乗仏教における救済と阿弥陀仏 3 浄土へ往生して成仏する 4 阿弥陀仏による受容と自己の相対化 5 仏教の〈極北〉としての浄土仏教 6 日本で成熟した浄土仏教
第二章 親鸞の原風景 1 不明部分の多い親鸞の生涯 2 一念と多念 3 親鸞は一念義か? 4 所行派と能行派 5 仏に背き続ける自己 6 流罪 7 稲田での生活と突然の帰京 8 善鸞義絶、そして往生
第三章 親鸞思想の特性 1 三願転入と隠顕 2 二双四重判と真仮偽判 3 〈改読〉から見る親鸞の実存 4 親鸞思想の中軸――二種深信 5 「教信こそわが理想」 6 信行両座・信心諍論と神祇不拝 7 なぜ『教行証文類』は書かれたのか? 8 親鸞における〈身体性〉
第四章 はからいなき地平へ 1 究竟の他力仏教 2 義なきを義とする 3 現生正定聚と還相廻向 4 悪人正機と悪人正因 5 「称」=「聞」=「信」
あとがき |
ISBN | 9784333024605; 4333024609 |
ヒット数 | 503 |
作成日 | 2023.08.02 |
更新日期 | 2023.08.02 |
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