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なぜ仏の姿の観想がさとりをもたらすのか?(2):Ratnarakṣita著Padminī 第13章傍論後半和訳註=Why Is Awakening Brought by Visualisation of Buddha? Part 2: An Annotated Japanese Translation of the Latter Half of the Excurses in Chapter 13 of Ratnarakṣita's Padminī
著者 種村隆元 (著)=Tanemura, Ryugen (au.) ; 加納和雄 (著)=Kano, Kazuo (au.) ; 倉西憲一 (著)=Kuranishi, Kenichi (au.)
掲載誌 川崎大師教学研究所紀要=Journal of Kawasaki Daishi Institute for Buddhist Studies
巻号n.6
出版年月日2021.03.21
ページ(1) - (32)
出版者川崎大師教学研究所
出版サイト https://www.kawasakidaishi.com/about/lab/
出版地川崎市, 日本 [Kawasaki-shi, Japan]
資料の種類期刊論文=Journal Article
言語日文=Japanese
キーワードPadminī; Ratnarakṣita; 第 13 章傍論; 和訳註; 生起次第
目次はじめに 1
第 13 章傍論シノプシス 1
和訳 4
13.2.3. 再反論:提示された議論は形象の修習が無意味であることを支持する 4
13.2.4. 再答論:形象の修習の目的は双入の三昧である 4
13.2.5. 再反論(想定反論):形象を修習する者は最高に微細な対象である双入に入れない 7
13.2.6. 再答論 8
13.2.6.1. 形象は大楽の証得に必要である 8
13.2.6.2. 究竟次第は段階的修習である 12
13.2.6.3. 信解のみが究竟次第の条件である場合 13
13.2.6.4. 生起次第は究竟次第の前提である 14
13.2.6.5. 真言理趣が波羅蜜理趣より勝れている理由 18
13.2.6.5.1. 無戯論の修習=究竟次第は真言理趣・波羅蜜理趣双方に等しく説かれている 18
13.2.6.5.2. 真言理趣・波羅蜜理趣双方において大楽は説かれる 20
13.2.6.5.3. 真言理趣・波羅蜜理趣双方において大楽のための方便は説かれている 22
13.2.6.5.4. 真言理趣・波羅蜜理趣双方において快楽の享受は説かれている 23
13.2.6.5.5. 真言理趣と波羅蜜理趣における実践の果に違いはない 24
13.2.6.5.6. 真言理趣の勝れている点は生起次第の実践を説いていることである 25
13.2.7. 傍論のまとめ 26
13.3. タントラ本文への註釈 27
参考文献 27
ヒット数6
作成日2023.09.14
更新日期2023.09.22



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