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進化する南無阿弥陀仏:念仏はどこからきて、どこに向かうのか? |
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著者 |
平岡聡 (著)=Hiraoka, Satoshi (au.)
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出版年月日 | 2020.03.10 |
ページ | 272 |
出版者 | 大蔵出版 |
出版サイト |
https://www.daizoshuppan.jp/
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出版地 | 東京, 日本 [Tokyo, Japan] |
資料の種類 | 書籍=Book |
言語 | 日文=Japanese |
ノート | 引用文献ならびに主要参考文献: p257-263 |
キーワード | 念仏信仰; 浄土教; 歴史 |
抄録 | 末法という危機的時代が生み出したスーパースターたちが説いた“南無阿弥陀仏”の教えは、いかにして私たち日本人に身近な行となり得たのか。—今までになかった新たな視点から念仏の系譜を浮き彫りにする。
時間の経過とともに、原初形態から多様な進化を遂げている「念仏(南無阿弥陀仏)」。“進化”をキーワードに念仏にアプローチし、過去から現在までの念仏の流れを整理するとともに、念仏の将来を予想する。
檀家制度や日本の文化習俗により、仏教はわれわれの生活に深く浸透しているため、日本人が仏教に触れる場合、まずその入口となるのは日本の宗派仏教であろう。法事や葬式、あるいは初詣などを通して日本人は仏教と触れる。またその仏教も浄土系(浄土真宗と浄土宗)の信者が多いので、念仏は日本人にとって身近な行である。
「念仏」といえば、大多数の日本人は「南無阿弥陀仏と声に出して称えること」を想起するだろう。しかし念仏は字義どおり「仏の姿や徳を念ずること」であり、本来、南無阿弥陀仏と声に出して称えることではなかった。では南無阿弥陀仏と声に出して称える行はなかったのかというと、そうではない。阿弥陀仏の成立は大乗仏教の時代、すなわちブッダの時代から約400年以上も遅れるので、南無阿弥陀仏と声に出して称える行の成立はそれほど古くはないが、「南無仏(仏に南無〔=帰依〕する)」と声に出して表明する行、すなわち称名という行は古くからあった。ちなみに「南無阿弥陀仏」という言葉もインド発祥で、「阿弥陀仏に帰依する」という意味を持つ。
念仏の起源も古く、初期仏教の時代に遡るので、念仏も称名も歴史と伝統のある仏教の行ではあるが、本来、両者は別物であった。それが時代の経過とともに接近し、併修され、そして最終的には称名が念仏であるとする流れが新たに誕生した。ただし、それとは別に念仏は念仏、称名は称名という、独立した行も今日まで存続している。
本書では「進化」をキーワードに念仏の変遷を辿っていく。生物が共通の祖先から多様な進化を遂げたように、念仏もその原初形態から、時間の経過とともに多様な進化を遂げており、進化論を援用することで念仏の起源と展開は理解しやすくなる(ただし、生物学上の進化は小さな変化が長大な時間をかけて徐々に進行するので、見た目でわかるほどに形質が変化するにはかなりの世代交代が必要となるが、一方、仏教思想の進化は、偉大な仏教者の独創的な解釈によって一気に起こるので、生物学上の進化論がそのまま仏教思想の進化にあてはまるわけではないことを踏まえつつ)。これにより、念仏の系譜が明らかになり、また南無阿弥陀仏が進化していることが理解されよう。
過去から現在の念仏の流れを整理することで、念仏の方向性も明らかになり、その方向を辿れば、現在の念仏が未来へ向かってどう進んで行くのかも見えてくるのである。終章では著者が念仏(南無阿弥陀仏)の将来の予想をも試みる。 |
目次 | はじめに 略号表 凡 例
序 章 進化する仏教
第一章 念仏の進化 一 伝統仏教 二 大乗経典 三 浄土三部経
第二章 称名の進化 一 南無仏の起源 二 南無阿弥陀仏の誕生
第三章 インドと中国における進化 一 龍樹と世親 二 曇鸞と道綽 三 善導
第四章 日本での進化 一 法然以前 二 法然 三 法然以降
第五章 言霊化という進化 一 インドにおける言霊思想 二 六字釈 三 阿弥陀三諦説
第六章 簡素化から物語化へ 一 簡素化 二 念仏の物語化 三 唱題の物語化
終 章 念仏はどこに向かうのか
引用文献ならびに主要参考文献 おわりに |
ISBN | 9784804330785; 480433078X |
ヒット数 | 90 |
作成日 | 2023.10.23 |
更新日期 | 2024.01.15 |
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