Mahayanasutralamkara(『大乗荘厳経論』)は,その章構成の理解の仕方に関してSylvain Levi等によるサンスクリット原典の校訂,チベット語訳,漢訳,注釈書類で若干の異同が見られる.そもそも『大乗荘厳経論』自体の構成は,『瑜伽師地論』「菩薩地」の構成を受け継いだとされているが,その内容は換骨奪胎されたものとされており,その具体的全貌に関しては十分な検討がなされたとは言い難い.全体としてはさながら「パッチワーク」の感を呈していると評されるように雑然とした印象を与えるものとなっている一方で,たとえば,第11章に見られる四十四作意等,部分的に論全体の構成と対応するような箇所が複数指摘されており,重層的な構造をもつことがうかがえる.こうした問題は,本論(偈頌部分と散文注釈部分)の著者問題や成立の過程とも深く関連しうる問題であるため,まずは多方面からの詳細な検討を踏まえることが必要となると考えられる.なお,こうした問題に関してはこれまで宇井伯壽,小谷信千代,早島理,袴谷憲昭といった研究者により様々な指摘がなされている.本論文では,その一つの手がかりとして,近年カダム全書として出版されたロデンシェーラプ(rNgog lo tsa' ba Blo ldan shes rab, 11世紀)によるmDo sde rgyan gyi don bsdus(『荘厳経論要義』)を概観し,本論の章構成に関する基本的な理解を検討した.その理解にしたがえば,本論には本来想定される教示あるいは学習の一連の流れがあり,それを元に論述の構成がなされた,と考えられる.本論がもつ重層的な構造も,章同士のつながりというよりも,同じ一連の流れに基づくものと考えた方が自然であろうと思われる.