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唐木順三の一休論における「伝統」と「近代」=Karaki Junzō’s View of “Tradition” and “Modernity” in His Analysis of Ikkyū |
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作者 |
飯島孝良 (著)=Iijima, Takayoshi (au.)
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出處題名 |
現代と親鸞=Today and Shinran=ゲンダイ ト シンラン
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卷期 | n.35 |
出版日期 | 2017.06.01 |
頁次 | 36 - 78 |
出版者 | 親鸞仏教センター=シンラン ブッキョウ センター |
出版者網址 |
http://www.shinran-bc.higashihonganji.or.jp/
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出版地 | 東京, 日本 [Tokyo, Japan] |
資料類型 | 期刊論文=Journal Article |
使用語言 | 日文=Japanese |
目次 | 序.問題の所在 36 Ⅰ.唐木の一休論―その特徴を示す鍵語 38 Ⅰ―A.「近代」への視座 38 戦後体制への批判 38 「伝統」の端緒は室町期 39 Ⅰ―B.「中世」 39 何故室町期か 39 過渡期としての「中世」――戦後日本との重なり 40 室町期の「批評精神」としての一休 41 Ⅰ―C.根源としての「虚無」 42 一休の批評精神――「虚無」の自覚 42 「虚無」という分析概念 43 Ⅰ―D.デカダンスとしての「風流」 44 「虚無」を見抜く精神としてのデカダンス 44 「風流」と「風狂」 45 「虚フィクション構」を捉える精神としての「風狂」 46 Ⅱ.唐木の立場と問題意識 48 Ⅱ―A.近代批判としての「中世」の発見――禅の位置づけ《Ⅰ―A.ならびにⅠ―B.への分析考察》 48 唐木における禅の位置づけ――中世以来の「伝統」として抽出 48 Ⅱ―B.「虚無」からの創造は如何にして可能か《Ⅰ - C.ならびにⅠ―D.への分析考察》 49 一休が浄土教へ接近したことについて 49 「識情苦」への着眼――「虚無からの創造」と三木清 50 Ⅱ―C.三木における大正教養派批判と「虚無からの創造」へのアプローチ――唐木との重なり《Ⅲ.への架橋》 52 「伝統」以来の「型」を喪失した近代への批判――三木の論点 52 唐木『現代史への試み』の教養派批判 53 三木の「宗教的要求」から「虚無からの創造」へ 56 「虚無からの創造」としての「構想力」 58 「デモーニッシュなもの」=「パトス」 59 Ⅲ.唐木における一休の「像」――その批判的分析 60 Ⅲ―A.「虚無」への眼――創造的精神としての一休「像」形成 60 近代ニヒリズムと「虚フィクション構」への視座 60 術語としての「虚無」を再考する 60 一休における「デモーニッシュなもの」――「識情苦」の問題 61 Ⅲ―B.抽象される「伝統」――唐木の方法論的限界 62 唐木の「伝統」観と禅 62 三木の「伝統」観との重なり 64 唐木の「伝統」観にある方法論的限界 66 結 69 |
ISSN | 13474316 (P) |
點閱次數 | 224 |
建檔日期 | 2017.08.04 |
更新日期 | 2019.05.09 |
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