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国保の源流の筑前宗像の「定礼」と「こもり」との地域的一致考 |
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作者 |
小山一乘 =Koyama, Kazunori
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出處題名 |
仏教経済研究=Journal of Buddhist Economic Research=ブッキョウ ケイザイ ケンキュウ
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卷期 | v.47 |
出版日期 | 2018.05 |
頁次 | 29 - 57 |
出版者 | 駒澤大學佛教經濟研究所 |
出版者網址 |
https://www.komazawa-u.ac.jp/gakunaisoshiki/kenkyujo/bukkyokeizaiken/
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出版地 | 東京, 日本 [Tokyo, Japan] |
資料類型 | 期刊論文=Journal Article |
使用語言 | 日文=Japanese |
目次 | はじめに 29 一 国民健康保険制度 30 1医療保険とは 30 二 国民健康保険制度の創設・変遷 31 1国保創設:農民漁民、自営業者のために誕生した国民健康保険(一九三八年・昭和十三年) 31 ⅰ平均余命変移(戦前から戦後への変移)―――四〇歳代から五〇歳代へ――― 31 ⅱ義務教育一五歳で人生五〇年の将来進路展望から、人生八〇年展望問題……中等教育学校創設で対応 32 2旧国保法改正で市町村公営化(一九四八年・昭和二十三年) 32 3現行の「国民健康保険法(新国保法) 」が施行(一九五八年・昭和三十三年) 32 4国民健康保険(国保)の運営主体を市区町村から都道府県に移管(二〇一八年・平成三十年)…大改革―――「非正規雇用と無職で八割を占める国民健康保険、制度存続の正念場」――― 33 三 国民健康保険の源流の定礼 33 1定礼の定義 33 2国民健康保険の制度設計の政府調査官のヒアリングに自信を与えた福岡県神興村手光の定礼・医薬財団組合 34 3最後の定礼医の高村直嗣医師(一八八四〜一九五八)を称える「高村翁頌徳之碑」 (福津市) 35 四 定礼の始まった山村 35 1定礼の源流:宗像郡上西郷村の「舎利蔵・本木」 、鞍手郡山口村山口の「小原・畑・里・浅ヶ谷・野中」 35 2昭和十年頃まで残っていた所(国民健康保険史記載分より) 37 3「定礼地区」と呼称される地区 37 4定礼発生における相互扶助精神以外の社会的発生条件 38 5宗像郡地区以外の定礼地域 39 6定礼のなかった地区(八〇歳を超える老翁が定礼を知らなかった地区) 39 7「何故に筑前宗像郡に定礼(常礼)が起こったか」 40 五 定礼のあった津丸区には「こもり」が存在、定礼のなかった村山田区には「こもり」は皆無 41 六「こもり」空間と「定礼(常礼) 」空間との相関性 41 七「こもり」 ・ 「籠り堂」と共食・共飲共食・ 「黄泉戸喫」の原理 43 ⅰ「こもり」と「籠り堂」の定義 43 ⅱ舎利山縁起奉読(毎年正月、祥雲寺住職) 43 ⅲ数百年以上継続の「花祭り」 (四月八日に近い日曜日) 43 ⅳ共同飲食・ 「黄泉戸喫」 ( 『古事記』 )想起 44 a共同飲食 44 b『古事記』に「黄泉戸喫」の話 44 c「定礼」と「こもり」とは決して無関係ではない 45 八 宗像郡上西郷の本木村と舎利蔵村 45 1本木村の祥雲寺住職と舎利蔵村の舎利山観音院勝寶寺縁起 45 ⅰ舎利蔵村舎利山観音院勝寶寺(跡)について 46 ⅰ・a『筑前国続風土記拾遺』の「舎利倉 ママ 村」の項の記に 46 ⅰ ・b『筑陽記』 47 ⅰ ・c『筑前国続風土記』 47 ⅰ ・d『筑前国続風土記附録』 47 ⅰ ・e本木村祥雲寺:『筑前國続風土記拾遺』巻之三十八の「宗像郡 下本木村」 47 ⅱ舎利蔵村の『拾月祭』 (福岡県文化財指定、昭和三十五年。 ) 48 ⅱ・a・①祭祀組織『拾月祭』の呼称「十月祭」 ・ 「行基祭」考 48 ⅱ・a ・②「舎利山観音院勝宝寺縁起」 (舎利蔵) (舎利蔵区有文書四)の記(全文) 50 2祭祀組織『天降神社御祭』 ・宮座考 52 3舎利蔵の祭礼 52 ⅰ舎利蔵村の『拾月祭』 ( 「十月祭」 ・ 「行基祭」 )と『天降神社御祭』の「座」の帳簿(祭座帳等) 52 まとめ 53 |
ISSN | 02892251 (P) |
點閱次數 | 637 |
建檔日期 | 2022.04.25 |
更新日期 | 2022.04.25 |
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