|
|
|
|
作者 |
大桑斉 (著)=Okuwa, Hitoshi (au.)
|
出版日期 | 1992.04.07 |
頁次 | 196 |
出版者 | 大谷大学 |
出版者網址 |
https://www.otani.ac.jp/
|
出版地 | 京都, 日本 [Kyoto, Japan] |
資料類型 | 博碩士論文=Thesis and Dissertation |
使用語言 | 日文=Japanese |
學位類別 | 博士 |
校院名稱 | 大谷大学 |
畢業年度 | 1992 |
目次 | 目次/p1 序説 近世民衆思想史の視点と課題/p1 一 視点としての<自律>/p1 二 統一政権と<自律>と仏教/p2 三 思想史的展望/p5 四 民衆思想史料としての仮名草子/p7 第一章 因果法則の矛盾と心の主体性―『心学五倫書』の悪人富貴・善人貧苦と天心一体説―/p13 一 研究史と課題/p13 二 悪人富貴・善人貧苦と積善余慶/p16 三 天心一体説と修身斉家治国 四 三教観/p20 五 現実批判/p26 六 思想史的意義/p29 第二章 仏教の人間化と煩悩即菩提―仮名草子における恋・果・無常・煩悩・菩提―/p37 第一節 『恨の介』の恋と因果と往生/p37 一 研究史と<仏教の人間化>の視点/p37 二 因果の内の<自覚>と妄執としての恋/p42 三 <因果の恋>と<人間の恨み>/p46 四 「後生にて」から<恨みの往生>へ/p52 第二節 『薄雪物語』の恋と無常/p59 一 課題と研究状況/p59 二 無常と仏法と恋/p63 三 因果と後世と観音/p68 第三節 『露殿物語』の恋と菩提/p73 一 研究状況と課題/p73 二 煩悩と菩提/p75 三 板挟みの出家/p79 四 柳は緑花は紅/p81 第四節 『七人比丘尼』の煩悩即菩提/p85 一 成立の問題/p85 二 通俗的「煩悩即菩提」観/p86 三 「煩悩即菩提」観の展開/p89 四 心外無別法の「煩悩即菩提」/p92 五 「煩悩即菩提」論の根底/p96 第三章 人間の仏教的再把握――鈴木正三の唯心弥陀と世法即仏法――/p101 第一節 『因果物語』の業報転鑠/p104 一 発心の勧め/p104 二 業報転鑠/p108 第二節 『二人比丘尼』の無常と心/p114 一 縁起的無常観の提示/p114 二 無常感の深化/p117 三 縁起的無常感と唯心論的主体性/p121 四 縁起的人間観と唯心論的人間観/p124 第三節 『念仏草紙』の唯心弥陀と世法即仏法/p132 一 唯心弥陀説/p132 二 現世への関心/p134 三 民衆思想への対応/p138 第四節 経験的合理主義と仏教――仮名草子と儒仏論争――/p145 第一節 『清水物語』の研究状況と課題/p145 一 朝山意林庵/p145 二 排仏論・三教一致論説と経験的合理主義・現実主義/p146 三 朱子学的合理主義説の課題/p147 四 二重構造論と時代への位置づけ/p150 第二節 『清水物語』の道理/p155 一 権威への懐疑状況/p155 二 学文論/p157 三 経験的合理主義と新しい人間像/p161 四 排仏論をめぐって/p166 五 経験的合理主義と心の主体性/p170 第三節 『祇園物語』の「深き理」/p175 一 「深き理」の意味/p175 二 唯心論的合理主義と現世肯定/p179 三 三教一致論の成立/p182 結章 日本近世における自律の特質/p187 一 東アジアのなかで/p187 二 因果観念をめぐって/p189 三 仏教の人間化と人間の仏教的再把握/p192 |
DOI | 10.11501/3089258 |
點閱次數 | 310 |
建檔日期 | 2023.04.07 |
更新日期 | 2023.04.07 |
|
建議您使用 Chrome, Firefox, Safari(Mac) 瀏覽器能獲得較好的檢索效果,IE不支援本檢索系統。
|