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作者 |
田上太秀 (譯)=Tagami, Taishu (tr.)
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田上太秀 (著)=Tagami, Taishu (au.)
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出版日期 | 2022.11.11 |
頁次 | 448 |
出版者 | 大法輪閣 |
出版者網址 |
https://www.daihorin-kaku.com/
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出版地 | 東京, 日本 [Tokyo, Japan] |
叢書名 | ブッダ臨終の説法 |
叢書號 | 4 |
資料類型 | 書籍=Book |
使用語言 | 日文=Japanese |
附註項 | 大蔵出版 1996-1997年刊の新装版 全40巻「涅槃経」の第31巻から第40巻までの現代語訳 機器種別 : 機器不用 キャリア種別 : 冊子 表現種別 : テキスト NDC(9版)はNDC(10版)を自動変換した値である。 |
關鍵詞 | 涅槃経; 大般涅槃経 |
摘要 | 本書はブッダ、つまり釈迦が臨終に際して最後の説法をしたとき、何を言い残したかを記述した仏典、漢訳『大涅槃経』の翻訳書である。全40巻のうち第31巻から第40巻までを、仏教用語の形に捕らわれず、大胆に現代語訳したもの。〔大蔵出版 1996〜1997年刊の新装版〕
これまで漢訳『涅槃経』を現代語に抄訳したものはあったが、全訳した例はないのではないだろうか。十巻区切りで刊行し、全四冊で完結することになる。 |
目次 | まえがき 凡 例 解 説
各章のあらまし 法数一覧 人物・動物一覧
第四十二章 正しい注意と正しい理解
ブッダになる可能性を見る方法 無一物を得る方法 業について 果報が決定している業 決定した業と不確定の業 正しい習慣がないとは 正しい理解がないとは
第四十三章 ブッダになる可能性と成仏
生死の大河と七種の人 八正道を歩む理由 五蘊とブッダになる可能性 ブッダになる可能性は不思議 不退転の求道の人について
第四十四章 不可思議の境地を説く
求道の人の不可思議 妙寂の教えの不可思議 ブッダ誕生の不可思議
第四十五章 悪僧スナカッタの行状
第四十六章 悪僧スナカッタと一闡提
第四十七章 種々の方便説法の実際
第四十八章 難問に答える
実体はあるか否か 中有はあるか否か 修行に後退があるか否か ブッダの身体は造られたものか否か 十二種の因果関係は世間のものか否か 心は常住か否か 五欲は修行の障害となるか否か 世間の第一善根とはなにか 正しい布施とはなにか 妙寂の真意はなにか 物質を作るとはなにか 物質を作らないとはなにか 心とはなにか 生存についての説法 正しい信者の生き方について 犯罪と習慣の関わりについて 教えは一つか否か ブッダになる可能性の所在について 重罪人にブッダになる可能性はあるか 十方のブッダについて 執着とはなにか 善根を断つとはなにか なにが善根を生むのか
第四十九章 ブッダになる可能性と中道
中道の意味 乳とヨーグルトの因果関係
第五十章 対機説法について
随意の説法 人の心を勘案した説法 自他の心を勘案した説法 七種の説法語
第五十一章 ガンジス河の七種人の比喩
信心について 習慣について 聞法について 施しについて 知慧の具足について 再び七種人について
第五十二章 四種沙門の境地
四方を見る者 スロータ・アーパンナとは 見渡してから行く者 行ってはまた止まり浮いている者 水中も陸上も自在に行く者 沙門が得るもの シュラマナと八正道 七種の人々とブッダになる可能性
第五十三章 ブッダになる可能性は虚空と同じか
虚空とはなにか
第五十四章 ブッダは世間と争わない
第五十五章 煩悩とはなにか
三つの汚れと無知の関係 汚れの原因について 汚れがもたらす結果について
第五十六章 真の仏道修行とはなにか
欲と感受作用を知ること 欲を知ること 業を知ること 十二種の因果関係を知ること 万物がそのまま仏道修行 仏道とは三十七種の修行 十種の念想を修めること ブッダの説法を讃歎するカッサパ菩薩
第五十七章 ブッダとバラモンの対論
五蘊についての仏説 バラモンたちが怒る バラモン・闍提首那との対論 バラモン・ヴァシタタとの対論 バラモン・セーニカとの対論 バラモン・カッサパの質問 バラモン・プラーナとの対論 バラモン・清浄との対論 バラモン・ヴァッチャゴッタとの対論 つづれ着のバラモンとの対論 バラモン・弘広との対論
第五十八章 阿難尊者を心配するブッダ
第五十九章 百二十歳スバドラの帰依 |
ISBN | 9784804614403; 4804614400 |
點閱次數 | 93 |
建檔日期 | 2023.07.11 |
更新日期 | 2023.07.11 |
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