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「木を〈領域〉とする経験」とは何か:ニヤーヤ学派pramāṇa論の〈目的〉概念=What Is ‘the Awareness Whose Domain Is the Tree’? The Concept of a karman in the Nyāya pramāṇa Theory |
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作者 |
Ogawa, Hideyo (著)=小川英世 (au.)
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出處題名 |
印度學佛教學研究 =Journal of Indian and Buddhist Studies=Indogaku Bukkyōgaku Kenkyū
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卷期 | v.71 n.3 (總號=n.160) |
出版日期 | 2023.03.25 |
頁次 | 953 - 960 |
出版者 | 日本印度学仏教学会 |
出版者網址 |
http://www.jaibs.jp/
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出版地 | 東京, 日本 [Tokyo, Japan] |
資料類型 | 期刊論文=Journal Article |
使用語言 | 英文=English |
關鍵詞 | Bhartr̥hari; Nyāya; Uddyotakara; Vācaspati; kāraka; karman; karaṇa; pramāṇa; phala |
摘要 | Uddyotakaraは,BhartṛhariがA 1.4.49 kartur īpsitatamaṃ karmaから導出した「行為の〈領域〉が〈目的〉である」(kriyāviṣayatvaṃ karmatvam)という〈目的〉定義を採用し,vṛkṣaṃ paśyati [devadattaḥ](「デーヴァダッタは木を見ている」)における術語「目的」の適用を正当化した.
Vācaspatiは,この定義中の「行為」が行為の結果(phala)を指示することを踏まえ,以下の三点を明示した.
A Xが〈目的〉であるとき,Xは行為の〈領域〉であり,XはX自身ならざる他者に内属する行為,それの結果の所有者である.
B 知覚行為と特徴付けられる,デーヴァダッタに内属する行為によって,木を〈領域〉とする経験が生ぜしめられる.
C 経験が対象を〈領域〉とするとは,経験が対象に依存して確定されることである.
Cは,Nyāya学派の統覚(anuvyavasāya)の理論の要点を見事に表現したもので,思考器官によっては単に「私は知識を有する」ではなく「私は木の知識を有する」ということが理解されることを指摘している.
当該の木は,その木を〈領域〉とする経験の所有者である.経験は,内属の関係でデーヴァダッタに関係し,領域性(viṣayatva)の関係で木に関係する.
Uddyotakaraによれば,認識はすべて,対象という自己の〈領域〉(svaviṣaya)とその〈領域〉とは異なる,その対象の実践的活動上の属性(獲得・放棄・無関心)という〈領域〉(viṣayāntara)の二つの〈領域〉を有する.したがって,木を〈領域〉とする経験とは,一方では「これは木に他ならない」という確定知であり,他方ではこの確定知を手段として起こる,獲得等の原因となる「この木は獲得されるべきである」といった判断知である. |
目次 | 0. Introduction 953 1. kriyāviṣayatva 953 1.1. kriyāphalaśālitva 953 1.2. arthādhīnanirūpaṇatva 954 2. vr̥kṣaviṣayoʼnubhavaḥ 954 2.1. jijñāsā, jñāna 955 2.2. svaviṣaya, viṣayāntara 955 2.3. karaṇa 956 2.4. karaṇavyāpāra 957 2.5. indriyādipramāṇavyāpāra 957 2.6. upādānabuddhi 958 3. darśanena 959 4. Conclusion 960 Abbreviations 960 Bibliography 960 |
ISSN | 00194344 (P); 18840051 (E) |
DOI | https://doi.org/10.4259/ibk.71.3_953 |
點閱次數 | 69 |
建檔日期 | 2024.11.13 |
更新日期 | 2025.03.26 |


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