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釈摩訶衍における真如門について:如義言説・法身・用大=On the Shinyomon (真如門) of the Shakumakaenron(釈摩訶衍論) |
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作者 |
本多隆仁 (著)
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出處題名 |
智山学報=Journal of Chizan Studies=智山學報
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卷期 | v.42 |
出版日期 | 1993.12.12 |
頁次 | 231 - 242 |
出版者 | 智山勧學會 |
出版者網址 |
https://www.chisankangakukai.com/
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出版地 | 東京, 日本 [Tokyo, Japan] |
資料類型 | 期刊論文=Journal Article |
使用語言 | 日文=Japanese |
附註項 | 智豊合同教学大会紀要,興教大師850年御遠忌記念号 |
摘要 | 釈論の真如門解釈では、如義言説、一一識心が示される。しかし、この如義言説等の意味するものが未だ明確ではない。それは釈論における真如門の意味が明確でないことに起因していると考えられる。そこで本稿では、釈論における真如門の意味、特に、釈論の真如門のあり方(法)とは何か、さらに、如義言説がどうして釈論の真如門解釈で説かれることになるのかを探った。一般的には、真如そのものを表現する場合、言語道断、心行処滅という否定的な表現を取る。しかし、釈論の解釈は、否定的な表現を取らず、真如そのものを積極的に表現し、如義言説等という。その釈論の特徴的解釈がどうして可能であるのか。それを検討する一つの方法として、釈論の真如門のあり方(法)を基礎ずけるもの、すなわち釈論の同相解釈を手掛かりとして、釈論の真如門のあり方(法)を明らかにした。その結果、釈論の真如門の法とは「清浄法」=「無為法」であり、それは結局、如来蔵思想における「法身」を意味していることが分かった。さらには、釈論の真如門の特徴的解釈は真如門の法(「法身」)に用大を認める(「三十三法門」)釈論の立場と相応していることも指摘できた。また同時に、これまでの釈論研究では指摘されていなかった、如来蔵思想との関連、特には不増不減経との関連が、今後の釈論研究において重要になることが分かった。 |
目次 | 〈要旨〉231 序 231 一 釈論における真如門と同相 232 二 無為法・ 清浄法としての同相 233 三 不生不滅と法身 236 四 法身と用大 238 まとめ 240 註 241 |
ISSN | 02865661 (P) |
DOI | https://doi.org/10.18963/chisangakuho.42.0_231 |
點閱次數 | 127 |
建檔日期 | 2023.04.10 |
更新日期 | 2023.04.12 |
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