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菩薩と三乘=菩薩與三乘
作者 渡辺章悟 (著)=渡邊章悟 (au.)
出處題名 東亞佛教的形成與發展
卷期v.1 n.1
出版日期2015.07
出版者佛光大學佛教研究中心
出版地宜蘭, 臺灣 [I-lan, Taiwan]
資料類型會議論文=Proceeding Article
使用語言日文=Japanese
附註項作者單位:東洋大学文学部東洋思想文化学科教授
關鍵詞三乘; 三菩提; 菩薩乘; 一乘; 『八千頌般若』; 『二万五千頌般若』
摘要仏教の目的は悟りを得ることであり、その体験をブッダが語るこ
とから仏教は始まる。その悟りは anuttarā samyaksaṃbodhi(阿耨多羅
三藐三菩提,無上正等覚、無上正等菩提)といわれたが、原始佛教や
部派仏教ではこの悟りと区別して、阿羅漢になることを目的とする阿
羅漢菩提、あるいは声聞菩提が説かれ、ブッダの悟りと区別するよう
になった。初期の仏教では弟子と師たるブッダの悟りには明確に一線
が一画されていたのである。したがって、大乗仏教で凡夫の弟子たち
が発菩提心(無上正等覚心)を発して正覚を得ることができると宣言
するに至るまでは、教理的にかなりの飛躍があることがわかる。
その間の悟りの考察についての発展を示す概念が、主に有部など
で説かれた三種菩提説であり、それが三乗という大乗仏教に特有の思
想へと展開するのである。
三菩提説は声聞菩提・独覚菩提・仏菩提からなるが、仏菩提とは
ブッダの悟りそのもの―無上正等正覚である。そして、この声聞・独
覚・仏の三菩提に基づきながら、<ブッダの悟りこそが、菩薩の悟り
である>と読み替え、菩薩を強調するのが三乗説に他ならない。
しかし、菩薩が悟りを求める者という意味であるならば、声聞も
独覚も、立場や実践こそ違え、悟りを求めるという限りでは同一であ
る。そうであるなら、三乗の菩提を求める者は、同じく菩薩と呼ばれ
てもいいはずである。しかし、三乗のすべてが、菩薩に集約されるな
らば、三乗や三菩提は何のために説かれたのか、といった議論もある。
これに類似した見解はすでに『婆沙論』に見られるが、菩薩を中
心とした三乗思想の確立は、やはり般若経、特に大品系の般若経を待
たなければならない。大品系般若では、三乗の解釈に二諦説を適用し
て、世俗諦であることを明示し、それが畢竟空を根拠とすることに言
及する。また、三乗中の仏乗を菩薩乗、あるいは大乗と読み替えて、
そこから一乗思想が発生する道筋をつけた。この場合の一乗とは菩薩
乗であるが、それには二乗を越える唯一の乗という意味と、悟りを求
める菩薩という意味での菩薩乗という二義がある。このような菩薩乗
の解釈こそが、三乗思想を解く鍵となっているのである。
また、般若経によれば菩薩は三乗のすべてに通ずる道であり、そ
の意味で菩薩の智慧であれ実践であれ、声聞、独覚すべての道に通ず
るものであることが明確に述べられている。
例えば梵本『八千頌般若』では、三乗について「如来によって説
かれたこれら三種の菩薩乗〔によって修行する〕人々」とする。この
三乗の例は唯一の例外であるが、<三乗とは菩薩道の三種類>である
と明白に述べられていることは注目に値する。この箇所に対応する
『一万八千頌般若』、『二万五千頌般若』も「菩薩乗の三種に区別はな
い」と繰り返しているので、般若経の主張は一貫している。つまり、
ここでいう三乗とは、「声聞・辟支仏・仏乗(菩薩乗)」ではなく、菩
薩の三つの修行形態を言っているのであり、そしてこれが「一〔仏〕
乗」の意味なのである。般若経はこのような菩薩の姿を描き、仏道修
行者のあるべきすがたを述べようとしたのである。
今回の「大乗経典に見られる社会」というシンポジウムのテーマ
とは直接一致しないが、本発表ではこのような菩薩の働きについて論
じながら、従来の一乗・三乗思想からを菩薩の一乗という般若経の考
え方を再評価し、そのことによって、大乗仏教の修行者にみられる社
会への関わり方を考察するヒントとしたい。

佛教的目的在於證悟,且佛教是來自於佛陀描述自己的證悟經驗而
開展,稱為「阿耨多羅三藐三菩提」(anuttarā samyaksaṃbodhi)或無上正
等正覺。然而在原始佛教與部派佛教中區別了此證悟,其提及了以成就
阿羅漢為目的的阿羅漢菩提或者聲聞菩提,與佛陀的證悟開始有所區
別。 由於早期佛教佛陀和弟子的覺悟有著很明確的區分,因此到了大
乘佛教 宣言凡夫弟子們能發菩提心得正等覺時,在這之間教理上有著
相當大的 飛躍。 本文呈現這之間證悟發展上的概念主要是以有部等所
說的三種菩 提,此三種菩提展開了大乘佛教特有的三乘思想。 三菩提
說由聲聞菩提、獨覺菩提、佛菩提所組成,佛菩提是佛陀之 證悟,也
就是無上正等正覺。並且其根據聲聞、獨覺、佛之三菩提,得 出佛之
證悟即菩薩之證悟,強調菩薩不外是三乘說。 然而,如果菩薩乃是求
證悟者,那麼同樣地聲聞和獨覺皆是求證悟 者—縱使兩者之間有著不
同的觀點和修持。這樣的話,我們應當可以稱 三乘中所有求菩提者為
菩薩。但是,如果三乘皆可統稱為菩薩,那麼則 會產生為何提倡三乘
與三種菩提的議論。
類似於這樣的觀點雖已出現於《婆沙論》中,但確立以菩薩為中心
的 三乘思想必須等到《般若經》,特別是大品系的《般若經》。在大品
系般 若中,將二諦說應用於三乘的解釋,明示三乘為世俗諦,並提及
其以畢 竟空為依據。再者,其將三乘中的佛乘改以菩薩乘或者大乘替
代,由此 而給予了一乘思想產生的理由。此處的一乘雖為菩薩乘,但
其中則有著 超越二乘的唯一一乘,以及求證悟者之菩薩乘的兩個意
義。這樣菩薩乘 的解釋,正成為了解釋三乘思想的關鍵。
其次,般若經明確地敘述菩薩是通往三乘之道,通往聲聞、獨覺之
道,在此意義下菩薩是智慧的、實踐的。
例如,在梵文本的《八千頌般若》中,如來說三乘為「根據三種菩
薩乘修行的人」。雖然此三乘的例子是唯一的特例,但值得注意的是, 這
裡很明確的提出了三乘對應三種菩薩道的說法。在《一萬八千頌般若》
和《兩萬五千頌般若》的對應文段中皆重複提到,三種菩薩乘無有不同。
由此可見,般若經典中所呈現的論點十分一致。總結的來說,此處說的
三乘不是「聲聞乘、辟支佛和佛(菩薩乘)」,而是菩薩的三種修行形態,
並且是一(佛)乘的意涵。在般若經中想要描繪這樣的菩薩形態,來談
論佛道修行者應該有的身態。
雖然本文與此次「大乘經典中所見之社會」座談會的主題不直接一
致,但本論一方面討論菩薩的修行,一方面從以前三乘、一乘的思想再
評價般若經菩薩一乘的觀點,藉此我想做出大乘佛教修行者如何參與整
體社會之考察的暗示。
點閱次數44
建檔日期2023.07.03
更新日期2023.07.03










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